および宮内省一」『三の丸尚蔵館年報・紀要』創刊号1996,②大熊敏之「1900年パリ万国博覧会と日本の近代陶磁」『万国博覧会と近代陶磁の繁明』愛知県陶磁資料館2000 同明治29年の告示第三号で「美術品」としたものが,明治30年の告示第四号では,「美術品及美術工芸品」と改訂している。注(8)大熊敏之文献①本の美術工芸品に対する需要が必ずしも高くなくなっていたことを示すものであろう。同久保田米樗『閤龍世界博覧会美術品画諾』第一集1893 凶「世界博覧会本邦事務官通信要領」『官報』3068号1893,「本邦出品物陳列場J『臨時博覧会事務局報告第二回J臨時博覧会事務局1894。後者によれば,美術館割り当て面積は80坪から231坪に拡張。同「各館出品」『臨時博覧会事務局報告』臨時博覧会事務局1895 れはパリで評価の高かった結晶紬へという動きの中にある。加)注側文献意味を中心に−」『MUSEUM.]第562号1999 同河原徳立「f弗蘭西博覧会に就てJ『日本美術協会報告』第150号1901 側注同文献寄贈の経緯とその(9) 『日本美術協会報告J第110号1897 (16) 世界的な流行として軸薬に対する研究がこの時期から大きく進みつつあった。こ(18)拙稿「ルイス・コムフオート・ティファニー寄贈のガラス364-ω 明治31年告示第七号同高い評価の一方で,日本工芸としては出品作品に多くの売れ残りが出ていた。日
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