パルは「範列」に指向対象の領域を包含することによって,パノフスキーの方法論が画像を専ら原典=指向対象に関係づける範列軸のみを用いる作業に陥り,ありもしないプログラムの「再構成」にうつつをぬかしてきたと批判する。したがって,等閑に付された連辞関係の研究を押し進めることがパルの仕事になる。しかし,画像の連辞関係の探求において,真っ先に問題となるのは「言葉jである。つまり,「これらの連辞関係を記述するために用いられる語の選択を統御する適正な基準は何だろうか。構図はいかにして文章へと翻訳しうるのか。視覚言語から口頭言語への翻訳を統御するいかなる規則もない。試みられる翻訳は主観的な根拠に基づいてしか判断できない」というわけである。マランはこの問題を「形象的テクスト」という概念であっさり処理しているが,パルの採用する方法は少し違っている。パルによれば,「(言葉への)翻訳は連辞関係にとって適切な唯一の手続きではない。翻訳に頼ることなく,特別な諸関係の先例を探ることはできるし,似たようなパターンを発見し,それらのパターン間に意味論的な関係以外の関係を打ち立てることもできる」のである。こうしたやり方をモティーフに適用すると,それは「様式の歴史Jとなり,イメージに適用すると「視覚的レトリックの歴史」になるとパルは言う。こうした連辞関係の研究は,美術作品内の特殊な形態布置の説明に役立つという。記号論的用語を用いて批判・修正された図像(解釈)学の構成は,パルによって,次のような図式で表される。モティーフの連辞=形態の分節(様式)モティーフの範列=形態の指向対象(ヲ|用)イメージの連辞=意味論的分節(レトリック)イメージの範列=意味論的指向対象(再現=表象)パルの「システイナ天井画の図像学jが直接に関心を示すのは「天井画の意味あるいはその諸部分の意味jではなくて,「特定の場面や人物像が特殊な配列でまとめられたり配置されたりするプロセス」であり,「特定の視覚的布置を生み出す際に関与している諸要因が何かということ」である。そして,こうした配列を生み出したひとつの重要な要因としてフィオーレのヨアキムの思想の影響が指摘され,「ヨアキムが未来を構想した方法と,エジデイオがユリウス2世の御代を理解した方法と,システイナ天井画の図像が構築された方法との間には,パラレルなものがある」という極めて慎重な結論が導き出されるのである。(未完:本研究は継続される)-27-
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