鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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円。口が22.6mで,碑造りの前後室の構造であった。前室の平面が正方形に近く,一辺の長部に山石,林を背景として,羊,虎など動物と狩猟の騎馬人物が描かれ,山は仙人掌のように頂上が丸く,樹木は双線で樹幹と枝を画き,細い線と緑彩で樹冠を描く。残存する画面には五人の騎馬狩猟者が見られ,皆裾が膝まで及ぶ鮮卑式の長い上着を着,長いズボンを穿き,バンドをしめ,腰に胡録をつけている。画面右側の二人が弓を引き,馬に乗って羊を追いかけている。その内の一人は丸いえりの上着,頭に風帽をかぶっているが,もう一人の肩以上の部分は画面の保存状態が悪く,はっきり見えない。項に矢がささった二頭の羊がうろたえて,逃げる方向がわからなくなった様子である。画面の中央に,一人の騎士がヤリを持って,一頭の虎の頭部に刺し込んだ。左側に一人の狩猟者が馬を木に繋ぎ,歩きながら,弓で、木に登った熊に見える野獣を狙っている。その上着は「爽領小袖」式である。画面には躍動感が溢れて,緊張した狩猟の雰囲気を再現した。このような狩猟図を棺の蓋に描くのは前例がなかった。北朝では棺蓋の表面或いは裏の面には女嫡伏義或いは東王公,西王母など神人霊獣,日月星宿銀河を配置するのが一般的であって,狩猟図で棺蓋を装飾するのは,中原の文化を十分に受容していないこの時期の北貌の独特なものと見てよいと思う。張女墳墓地の調査概報によると,彩絵棺蓋の出土した古墳は,傾斜する長い墓道を持つ台形平面の土洞墓であるが,古墳の番号・規模・共存遺物についていずれも報告されなかった。これらの木棺は,すべて前部の幅が贋く,後部の幅が狭くなるタイプであり,双人棺と単人棺二つのサイズに分けている。双人棺のす法は109号墓の平面図により,長さ193cm,幅45〜73cm,単人棺の場合は,竪穴土洞構造の235号墓より長さ170cm,幅40〜50cmと推定できる。棺蓋の面積が本体よりやや大きいはずである。前述した棺蓋の元のす法はわからないが,残板の最大幅が45cm,長さ152cmであるから,もし単人棺なら,主要な図像がほぼ残っている。もし双人棺なら,半分近くの図像が失われたこととなる。一基の北貌碍室壁画墓を調査し,発掘報告書がまだ公表されていないが,1993年11月28日の『中国文物報』に簡略な報道と狩猟図・虎牛闘争図と宴会図の雑伎場面の三枚写真を載せた(注5)。この報道によると,該当壁画墓は,墓道を含め埋葬施設の全長さが4.6mで,面積が約20m2で、あり,四壁の基線が外側に突き出て,いわゆる「弧方形」4 内蒙古ホリンゴール県検樹梁村壁画墓の狩猟図〔図4〕1993年8〜9月に,内蒙古北貌金陵考古学隊がホリンゴール県三道営郷橘樹梁村でδ

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