鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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いた」(注3)。ニクソンはその後このプロジェクトを進め,1991年に『Peopl巴WithAIDS.I (注4)と題する本に纏めている。黒無地の表紙に本のタイトルが白抜きされた下に,被写体となった15人の名前が青い文字で記されたこの本は,ニクソンの写真と共に,彼の妻であり科学ジャーナリストであるベベ・ニクソンがそれぞれの被写体にインタビューしたかなり長い文章が添えられている。15人の内,11人までが20,30代の白人男性で,残りの4人は女性,その内3人までがアフリカ系とヒスパニック系であることがわかる。ニューヨーク近代美術館での場合と同様,室内で被写体がl人で写された作品,特に顔のクローズアップが多い。この本に掲載されている85点の写真の内,女性の被写体の作品は22点(25%),家族や恋人などと写されているものはお点(30%),戸外で撮影されたものは9点(10%)に止まっている。女性が被写体になっている作品の22点中,家族や恋人と写っているものは7点(31%),内,戸外撮影はl点,ベッドに横たわっていたりチューブや酸素マスクなどの医療器具をつけて病気を示唆したりしている像は3点(13%)で,男性の場合の63点中26点(41%)に比べると少ない。また,男性の場合は上半身裸の写真が11点(17%)あるが,女性の場合は1点(4 %) に止まっている。女性のポートレイトにはエイズを示唆するものが何もない。いかにも憂欝そうな眼差しをレンズに向けている場合もあるが,本のタイトルを見ず,テキストを読まない限り,この被写体たちがエイズと生きる人々であると気付くのは難しいだろう。翻って男性の場合は,多くの作品がエイズを象徴するイコンそのものである。すなわち,カポジ肉腫,醜く衰えた肉体,点滴のチューブや酸素マスク,死に瀕しているエイズの犠牲者としての像である。2 エイズを巡る社会政治的背景そもそもエイズがただ単に一つの病気として扱われていたら,「エイズ危機」と呼ばれるような事態は起こらなかった。ここではニクソンの作品への抗議の背景にある,アメリカにおけるエイズを巡る杜会政治的背景を簡単に考察したい。ミルコ・D・グルメク著『エイズの歴史.I(注5)によると,1979年末以来,きわめて稀なガン性の病気がロサンジェルスやサンフランシスコ,ニューヨークのゲイ・コミュニティに現れたという非公式な情報が広まった。最初の公式発表は1981年6月530 -

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