現在も農場の洞に記られているため保存状態は良好とはいえず,右手の肘先と左手の甲と両足首にはプラスターで粗悪な補修が加えられている。また,両目は宝石をはめるために彫り窪められているが,これは明らかに後世の改変である。頭部には肉警がなだらかに盛り上がり,扇平な螺髪が刻まれている。眉間には大きな白童相を陽刻する。両手の印相は補修が加わっていて正確にはわからないが,出土当初の写真から判断して,右手は施無畏印を結び,左手は甲を外に向けて握っていたと推測される。着衣形式は偏祖右肩で,衣の全面に規則的な衣丈親を何条にも刻む。衣文の断面は階段状を成し,彫りの深さはほぼ均一で、ある。肩の後ろには水平の張り出しが設けられ,頭背部には縦に突起が刻み出される。これは頭光を留めるための工夫であり,当初は別材で頭光をつくっていたことがわかる。既に諸先学が指摘してきたように,上に挙げた本像の特徴は,アーンドラ地方の仏陀像のそれとほぼ一致している(注2)。まず注目されるのは石材に用いている白色石灰岩の石質で,スリランカで産出される目の粗い石灰岩とは大きく異なり,アーンドラで産出されるものと同じである。またその像容も,右手を施無畏印とする偏担右肩立像という像形式のみならず,なだらかな肉警と扇平な螺髪,眉間の大きな白童相,光背を留めるための頭背部の突起,両脚の存在を覆い隠す分厚い衣の表現,階段状に刻まれた流麗な衣文線に至るまで,アーンドラ地方で3〜4世紀頃に制作された仏陀像と共通している。以上の点から本像は,3〜4世紀頃にアーンドラ地方で制作されたものか,または同じ頃にアーンドラの工人が石材を持ちこんでスリランカで制作したものと考えられる。本像のようにアーンドラ地方からもたらされたと考えられる仏陀像は,スリランカ各地で数点発見されている。そしてこれらの仏陀像よりも様式的に明らかに遡る仏陀像は,現在のところスリランカ内部では発見されていない。つまりスリランカの仏陀像の初期造像に,本像のようなアーンドラ製の仏陀像が大きな役割を果たした可能性はきわめて高いといえる。一方,スリランカで制作されたことが確実な仏陀像中,もっとも古様を示す作例といえるのが,アヌラーダプラのアパヤギリ大塔近くのアーサナガラ(仏陀の成道を象徴する台座を記ったお堂)の発掘で出土した仏坐像(アヌラーダプラ考古博物館蔵)である〔図2〕(注3)。像高は120センチで,石材にはスリランカで産出される目の粗い石灰岩を用いている。また,胸や顔の一部にプラスターが残り,彩色されていたことがわかる。右腕は肩から手首までが失われており,頭部と胴体は別々に出土したも401
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