のを接合している。また,両日はマハーイルッパラーマ出土像と同様彫り窪められているが,やはり後世の改変と思われる。頭部の肉警は低く,螺髪は扇平に刻む。眉は隆起で表し,眉聞には大きな白牽相を陽刻する。坐法は左足の上に右足を重ねるいわゆる勇名坐(ヴィーラアーサナ)とし,左掌の上に右掌を重ねる形の禅定印を結んでいる。着衣形式は摩耗のため判然としないが,首の衣端のつながりや背面の衣文の流れから判断して,通肩であったと考えられる。衣文線は細い陰刻親で疎らに刻まれ,体の前では首の周りを中心として左右対称に緩い弧を描いている。また,大衣がかかるのは膝上までで,膝下には足首までを覆う裳がのぞいている。肩の後ろには頭光を載せるための水平の張り出しと,角形の突起がある。本像に見られる肉撃や螺髪や白老相の形状や,頭光を載せるための頭背部の処理は,マハーイルッパラーマ出土像とまったく共通している。また,腰をやや浮かせたような下半身の表現や,側面から見ると膝がほとんど前に出ていない点や,大衣が膝上までしか掛かっていないなどの点は,アーンドラ地方の数少ない丸彫仏坐像の例であるブルックリン博物館所蔵の仏坐像(注4)の表現と同じである。そして周知の通り,本像のとるいわゆる勇名坐は,浮彫像を含めたアーンドラの仏陀坐像に共通して見られる坐法となっている。以上のように本像はアーンドラ製ではないものの,アーンドラの仏陀像の様式にきわめて近い作風を示している。すなわちその制作年代も,マハーイルッパラーマ出土像に近い時期が想定できょう。一方,本像にはアーンドラの仏陀像とは異なる特徴も指摘できる。とくに本像が坐像であるという点と,禅定印を結んでいるという点は重要で、ある。アーンドラ地方の丸彫仏陀像はほとんどが立像であり,坐像はきわめて少数見られるにすぎない。また,坐像は浮彫の例も含めて右手を施無畏印をするのが基本であり,筆者の知る限り禅定印を結ぶ例はゴーリ出土の浮彫像(注5)が一例あるだけである。しかるに後期アヌラーダプラ時代の仏陀像は坐像が,多くを占めており,しかもそのほとんどが禅定印を結んで、いる。すなわちスリランカの仏陀像の様式の形成過程を考える上でも,本像の存在はきわめて重要とみなされよう。なお,このアパヤギリ出土像とほぼ同形式の仏陀像が,スリランカ最古の創建と伝えられるアヌラーダプラのトゥーパラーマ仏塔の近くからも出土している〔図3〕(注6 )。この像(コロンボ国立博物館蔵)は像高30センチで,スリランカ産の石灰岩に彫られ,頭部は失われている。作風はアパヤギリ出土像よりも全体に穏やかで,次に述べるコロンボ国立博物館の仏陀胸像に近い時期のものかと思われる。特徴的なのはそ402
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