鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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の着衣形式で,基本的には偏祖右肩であるが,大衣の一部を右肩にかける形となっている。この形式はアーンドラ地方のアマラーヴァティーの浮彫仏陀像にいくつか例があるが,丸彫像ではアーンドラにもスリランカにも例がない,きわめて珍しいものである。アパヤギリ出土像や次に述べるシーギリヤ出土像が,アーンドラではほとんど見られない通肩像であることも考え合わせると,これらの多様な着衣形式もこの時期の仏陀像の特徴のーっと見なされるかもしれない。しかしこれ以後の仏陀像の着衣形式がほぼ偏祖右肩に統ーされていることからすると,このような試みは長くは続かなかったと考えられる。さらに,アパヤギリ出土像に続く段階を示す作例として注目されるのが,コロンボ国立博物舘所蔵の仏陀胸像〔図4〕である。総高14センチの石灰岩製で,出土地はシーギリヤあるいはポロンナールワとされるものの明らかでない。スリランカ産の目の粗い石灰岩に彫られ,胸から下が失われているため当初の姿勢もわからない。頭部の肉警はやはりなだらかで,頂部に角形の小孔が穿たれる。シラスパタ(火炎飾り)を鼠めたか,舎利を納めたものかと思われる。螺髪は額に沿った一列のみ肩平な円形を連ね,それより奥は格子形に線を刻むだけの形式的な処理をしている。眉は左右ともに刻線一条で表し,眉聞に小さい白童相を刻線で表す。目は大きく見聞き,上下の験より突出している眼球の表現が特徴的である。鼻梁が長く,口がやや突き出る。背後に無装飾の頭光を彫り出す。着衣形式は通肩とし,首の周りの衣端に沿って,同心円上の規則的な衣丈を陰刻する。本像も上記の例と同様,なだらかな肉警や肩平な螺髪,大きく見聞いた日など,基本的な像容はアーンドラ地方の仏陀像と近い。しかしその一方で,頭部の形がアパヤギリ出土像のような幅広のブロック状から卵形に近いものに変化し,螺髪は簡略な表現となり,眉や自宅相も陽刻ではなく,浅い陰刻線で表しているなど,全体に表現が平明で、穏和なものへと変化しているのが注目される。つまり様式的には,上記のアパヤギリ出土像の表現を消化して,より一般化した段階の作例と位置づけられる。なお本像に関しでも,これと同じ作風を示す仏陀頭部が,最近行われたアヌラーダプラのジェータヴァナ大塔の発掘で出土している〔図5〕(注7)。総高は10.5センチとシーギリヤ出土像の頭部とほぼ同じであり,陰刻線で表された眉や白書相,突出した眼球の表現なども共通している。ただ頭光は別材としていたらしく,頭背部に突起を設けている。また,同発掘ではこの仏陀頭部だけでなく,3〜4世紀頃のアーンドラ彫刻403

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