鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
415/763

にきわめて近い作風を示す小彫刻が数点出土していることも付け加えておく(注8)。最後にブロンズ像の例として,古くよりスリランカの初期仏陀像の代表例として知られてきたパドゥッラ出土の仏坐像〔図6〕を見ょう。本像は像高54センチと,15センチ以下の小像が大部分を占めるスリランカのブロンズ製仏陀像の中で、は際だ、った大きさを持っている。内部は中空で、,腹部の破損部で確認する限り,銅板はきわめて薄くつくられている。右足の膝下から足首にかけてと,両手足の手首から先はそれぞれ別鋳とする。肉警頂部には直径1センチほどの小孔があり,シラスパタ(火炎飾り)を飾るか,舎利を入れていたと推測される。頭背部には幅2センチ,高さ1.5センチほどの板状の突起があり,おそらく頭光を取り付けていたと思われる。頭部は肉警がなだらかに盛り上がり,螺髪は小粒で立体的で、ある。眉聞には白牽相はなく,わずかに隆起した眉は均等な弧を描き,細くて高い鼻梁へと連なる。大きく見開いた目はナツメ状を呈し,上険のみを浅い刻線で、縁取って二重とする。唇は上下共に分厚く,周りを隆起線で縁取る。耳采は貫通し,貫通部は縦長の溝状を呈す。首の中段には一条の刻線で三道相を表す。坐法は左足の上に右足を重ねる勇名坐(ヴィーラアーサナ)である。右腕はやや肘を張り,掌を立てて第1'2指を接するヴイタルカ印を結ぶ。左手は軽く握ったカタカ印とし,衣端を掴む。着衣形式は偏祖右肩で,背中から右脇に掛かった衣は右膝まで、覆って左肩にかかり,左腕全体と左膝とを広く覆っている。衣全体に規則的な衣文を表すが,上記の石彫の作例で見られたような刻線による衣文ではなく,細い隆起線で表されている。本像の制作年代については3世紀とする説(注9)や,5〜6世紀頃とする説(注10)など,古く遡らせて考えるのが伝統的見解となっている一方,近年では7〜8世紀噴とする説(注11)も有力視されている。像容を見る限り,本像の小粒で立体的な螺髪や,白老相を表現しない点,隆起線で衣文を表す点などは,3〜4世紀のアーンドラ地方の仏陀像や,その影響を強く受けているこれまで見てきたような石彫像とは大きく異なり,むしろ7〜8世紀頃に制作されたアヴカナの摩崖仏立像(注12)と共通する。すなわち少なくとも本像を3世紀とすることは,作風から考えると困難で、ある。では5〜6世紀説と7〜8世紀説のどちらが妥当かであるが,これを決定するには本像に見られる螺髪や衣文線の表現が,いつ頃生じたのかを確定する必要がある。本像を5〜6世紀と見る研究者はこれらの表現をインドのグプタ様式の影響で生じたとみるのに対し,7〜8世紀と見る研究者は南インドのパッラヴァ朝やチヤールキア404

元のページ  ../index.html#415

このブックを見る