鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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伝.I(1824) (注2),ドイツの研究者カール・ユスティ(18321912)の『ベラスケス⑮ 美術史学におけるべラスケス像の様相と古代彫刻の役割一一一セアン・ベルムーデスとユスティを中心に一一研究者:学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程久々湊直子はじめにデイエゴ・ベラスケス(1599-1660)が国王の命により行った古代彫刻蒐集(注1) は,宮廷画家が絵画制作以外の活動によって芸術とその受容の関係を支えていた好個の例と言える。この画家の伝記的記述や研究書を歴史的に概観すると,20世紀前半までは,この「古代彫刻蒐集」の内容を詳細に扱う著述・研究がごく少数であることに気付く。具体的には,アントニオ・パロミーノ(1655-1727)の『スペイン桂冠画家列とその時代』(1888)(注3)がこれに当たるが,興味深いことに研究史上の両者の位置付けは決して軽くはない。パロミーノの著作はスペイン初の美術家列伝としてほぼ源泉資料の扱いを,ユステイのそれは美術史研究者によるベラスケス研究の曙矢として基本文献の扱いを受けている(注4)。1世紀半以上隔たれた両者を中継する重要な文献として,学問的姿勢が評価されるセアン・ベルムーデス(1749-1829以下セアンと略記)の『スペイン著名美術家歴史辞典』(1800)(注5)がある。しかし,ここでは「蒐集jは,その調達に至る事情が数行記されるのみである。ベラスケスについて記述し,彼になんらかのイメージを付与する上で,この「古代彫刻蒐集jは,執筆者各々の立脚点を査定する一つのメルクマールであるように思われる。それぞれの「あるべき」ベラスケス像が,この「古代彫刻蒐集」の扱いに反映され,そこには彼をどのような存在として位置付けるかという執筆側の立場が露呈しているからである。本稿で研究成果として報告するのは,ベラスケス像の語られ方に現われる「古代彫刻蒐集jの扱いの明らかな差異について,18?19世紀を中心に,この差異の変還と研究者たちの理念・方法論との相関関係を明確化することである。1 .セアン・ベルムーデスの理念パロミーノはこの古代彫刻蒐集について,版画集等から得た知識を駆使して蒐集作品一点一点を鏡舌に語る。すでに筆者はこれについて,その執筆背景と絡み合った著-409-

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