鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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者の愛国的意図を検討した(注6)。ここでは,「蒐集」はベラスケスの功績の主要な事項であり,彼と彼が蒐集した彫刻は,他国に遜色ない自国の芸術環境を主張する論拠,その象徴としての役割を担う。しかし,当然,このような傾向は外国で出版されたパロミーノの抄訳版,類似の辞書にはまったく見出せず(注7),また,パロミーノの著作から76年後に出版されたセアンによる辞典でも,「蒐集jの内容が個々に取り上げられることはない(注8)。セアンの態度を説明するー要因として,科学をモデルにした「客観的な]学問への志向を考慮する必要があるだろう。同郷の友人セアンを牽引して美術行政に携わった政治家ホベリャーノスの彼宛の手紙には,当時の二人の共通理念が確認できる。著作を辞典の形態にすることから始まり,ABCJI債の体裁にすること,プロローグに著作の意図と成立事情を記すこと,果ては著作名の提案に至るまで具に忠告した後,更にホベリャーノスは以下のように述べる。「…各項目は最小限にとどめ,子細なこと,風説,とるに足らない情報に紙面を割かないこと,…スタイルは切り詰め簡潔にし,散漫や不統一は避けること,芸術家を必要以上に誉め讃えず,様式や業主責の賞賛よりもそれを査定する方に配慮を示すこと,査定する際には暖味・無意味な表現は避け,様式・素描・色彩・構図・創意・表現など,各芸術家の芸術的に秀でた部分を分析すること…(注9)。J(下線は筆者)ホベリャーノスの忠告に従い,セアンは著作のプロローグに同書の執筆意図を記し,特にパロミーノへの批判部分では,先の手紙と同様の傾向を露にする。「パロミーノは…当時の口承を編纂しただけだった。もっとも,それさえかなり不足ぎみで,事実を詳らかにすることも,年代的な整理もしなかった上,更に悪いことに,風説や取るに足らない話を受け入れてしまっている。生徒や教師にはこれがいとも簡単に浸透し,普及してしまうのである(注10)。」前述のように,彼らの姿勢には近代学問としての美術史学がこの時期スペインでも胎動している様が看取でき,また,その教育的配慮には,啓蒙主義の思想的特徴も読み取れる(注11)。同時に注目すべきは,彼らの興味の鉾先が,美術家の活動全般ではなく「創造者jとして活動,すなわち「制作」とその結果としての「作品Jに向き始めていることである。実際,パロミーノに比して,セアンの辞典のベラスケスの項目は記述が「制作」の記録に集中し,後半にはクロノロジーを離れて画風の批評を展開する数頁が挿入されている。こうした理念に則った著作で,「古代彫刻蒐集」が等閑視410

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