鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
430/763

(23) Justi, cit., ed. 1999, p. 286 (24) Justi, cit, ed. 1999, p. 271. (25) Justi, cit., ed. 1999, p. 528 (28) Justi, cit., 1999, p. 530. (29) ユステイが当初イタリア美術研究を予定していたことについては,Hellwig,cit. , 髄~Venturi, cit., 1948,和訳版,1971,p. 220. 。カHellwig,cit., 1999, p. 9 . 側Justi,cit. 1905-6. Kultermann, cit.和訳版,p.215倒例えば〈日記〉にはなんら情報的新見地がなく,「担造」の意味がない点は指摘されている。Hellwig,cit. , 1999, p. 26. 凶Justi,cit,巴d.1999, p.278-280.特にベラスケスが風景画に描き,蒐集もしたクレオパトラ(アリアドネ)像については詳述している。これは,かつて彼が妹に送った手紙でも世界最高の彫刻のひとつとされている。Justi,cit. , 1922, p. 250. 1996.及び同1999.を参照のこと。側Venturi,cit., 1948,和訳版,1971,p. 219 220., Kultermann, cit.和訳版,p.213-214. 倒Hellwig,K. 1999, p. 7 .に,ブルクハルトを扱う研究に比較して,ユスティに関する研究が極端に少ないことが指摘されてる。倒Hellwig,K. 1999, p. 26.,ヴェツォルトの言及はWeatzordt,cit. , p. 263.「ユステイの創造物が研究者にさえ本当の源泉資料と看倣されたり議論されたりしたことは,彼の歴史的素材を扱う能力,文体のセンス,文学的才能の点から見ると,またとないだろう最高の賛辞である。j倒Kultermann,cit.和訳版,p.166.倒Venturi,cit., 1948,和訳版,1971,pp. 219-220., Kult巴rmann,cit.和訳版,p.213-214. 倒Harris,cit. , 1960.以降のことを指す。419

元のページ  ../index.html#430

このブックを見る