鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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ど情報が圧縮された画像なので拡大には耐えないが,コンピューター画面に次々と画像を呼び出して内容を確認することが可能である。日本部門の学芸員マッティー・フォラ一氏によれば,肉筆画はブロンホフ,オーベルメール・フイツセル,シーボルトら3人の収集したものだけで1400点にのぼるというから,これは所蔵絵画の大半を占めることになる。ブロンホフ,オーベルメール・フイツセルの絵画コレクションは,石崎融思や川原慶賀らが彼らの依頼を受けて制作した動植物などの博物学図譜,人,風俗文化,道具を表した民族学図譜の類いが3分の2を占める。一方シーボルトの絵画コレクションでは,そうした図譜は3分のlにとどまり,人物風俗図約90点(上方絵師による美人画15点など),山水画70点余り,仏教縁起関係25点,動物と花鳥画125点余りを認めることができた(注7)。日本において今まで開催されてきたシーボルト関連の展覧会では,博物学,民族学図譜の類いに重点がおかれ,フォラ一氏もシーボルトには美術収集の意図が希薄だ、ったと述べているが,それでも2人の先輩にくらべ,彼は当時の一般的な日本絵画を多数持ち帰っている。中国の山水画(1 1171〜1173),達者な南頚派風のもの(1 1210, 1 1228, 1 1249 など),川原慶賀の花鳥画や水墨山水画(1 -1248, 1 -1067, 1068など),そじて『日本』の挿絵となり,フランスの雑誌『マガザン・ピトレスクJに転載されて画家モローの注意をひいた〔図l〕(注8)<弁財天と十二童子>( 1 1071)などの色鮮やかで繊細な仏画(〈浬繋図>1 -1125, <来迎図>1 -1126)などが,江戸期のプロの画家たちの腕前をあますところなく伝えている。鳴滝で医術を教えることを許され,日本人妻子をもち,多くの日本人学者と交流したシーボルトであるから,西洋的着眼の図譜ばかりでなく当時の絵画一般にも目配りができたものと考えられる。フォラ一氏によれば,現在ライデン民族学博物館には絵入りの和書が900タイトルほど存在するが,その半分ほどがシーボルトの収集したもので,ブロンホフらの収集したものを合わせ,葛飾北斎の挿絵本は300タイトルを数えるという。また,シーボルトのコレクションに少ない一枚刷の錦絵は,パリのピング,フランクフルトのパイエラー,ドイツのフォーゲルなどから,鈴木春信30枚など4000枚が後に購入され,現在は8000枚にも達しているという。これらはあまりに多いため,フォラ一氏は2度データベース化を試みたが,他の業務との兼ね合いから果たさずに終わっているという。氏の言によると,鈴木春信30枚,二代喜多川歌麿200〜250枚(フォー422

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