鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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I. 7603/ 1 , K. I. 7627 /127),銭湯での女たちのけんか(K.I. 8327 /18a〜cの3枚続き)3.チェルヌスキ美術館とギュスターヴ・モロ一美術館県美術館の原田敦子氏がすでに調査を実施し,目録を作成しておられる(注20)。それによると,総数は349枚で,歌川派が249点(国貞119,豊国163,国芳36など)しかし広重はない。美人画が多く,次に多いのが芝居絵であり,ハインリッヒの日本滞在と同時期の版がないことからみて,彼の浮世絵収集は外国のコレクター(美術館)にアピールすべく,江戸時代の古いものを集めるよう心がけたと考えられる。1907年にはさらに1820枚の日本の素描や版画が帝室美術工業博物館入りし,現在のMAKは約3000枚の浮世絵(鈴木春信19,葛飾北斎200,歌川豊田300,歌川国貞260,歌川広重400,歌川国芳69,渓斎英泉400など),約400タイトルの絵入り本を所蔵している。これらは40枚ほどが入るディスク(Lad巴)に画像データとして収められており,コンピューター画面上で内容を確認したり,拡大して文字や落款を確かめたり,プリントアウトしたりできる精巧なものである(注21)。ウィーンの工芸美術館において,肉筆画ではなく浮世絵版画を調査対象にした理由には,上述のようなデータベースの完備の他に,クリムトのエロティックな素描やシーレの性器へのこだわりなどに春画の影響があるのではないかという,かねがねの疑問の答えを見つけ出そうとの腹づもりがあった。結果的には,上半身をはだけたり(K.〔図2〕といったあぶな絵的なものが好んで収集されているものの,純然たる春画は質の悪い来歴不明の画巻2点(肉筆と刷物)が収蔵されているにとどまった(注22)。ハインリッヒのコレクションは,西洋の博物館や美術館の収集に美術品としてアピールしようとの視点から集められたものが多く,明治維新の廃仏段釈の時期であった1879〜88年の収集であるだけに,日本の寺院から流出した仏教美術を多く含んでいる。この中には,幕府の庇護を失った寺院がやむなく手離した由緒ある仏教古美術が存在する可能性があるが,工芸美術館の性格上,その存在は無視されているに等しい。専門家諸氏の今後の調査に期待したい。イタリアからフランスに政治亡命し,パリで財をなした企業家エンリコ・チェルヌスキ(1821〜1896)は,1871年の9月にパリ・コミューンの騒乱を逃れてアメリカ経由で16ヵ月に及ぶ世界一周の旅に出た(注23)。チェルヌスキはこの長旅で,ブロンズ製品を中心に特に日本と中国で旺盛な収集を展開し,1873年の1月,実に900箱もの美426

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