気がコントロール可能な段階に入りつつあった80年代後半になっても続いた。メディアのエイズ表象を通して恐怖が増幅され続けたのである。また,マス・メディアの表象におけるもう一つの大きな問題は,エイズを個人の問題だけに還元させてしまったことである。ステレオタイプ化したスティグマを纏った個人の,倫理に惇る行いをした者への天罰として,あたかも悲劇の犠牲者の物語に仕立て上げることは,事実を隠蔽する働きをした。多くのエイズ研究が指摘しているとおり(注9),エイズは個人的な問題というよりは,前述したように社会・政治的な問題が多かった。一例だけ挙げれば,1982年10月5日までに364人がエイズに催り,その内260人が死んでいた(注10)。にもかかわらず,多額の予算を組んで原因を究明し患者を救おうとする政治的な動きはなかった。マスコミのエイズ報道も非常に少なかった。マスコミにとって「ゲイ癌」報道は市場価値なしと判断されたわけで、ある。同年8月にシカゴで起きたタイレノール(鎮静剤)への青酸カリ混入事件においてはマスコミは大々的に報道し,政府は数日の内に国内のタイレノールを全て回収し,llOO人を投じて150万個のカプセルを調査した。実に何百万ドルを費やして,迅速な対応がなされたのである。ちなみにこの事件で死亡したのは5人である。この対応の差は差別され抑圧され少数者である4H,特に男性同性愛者と白人異性愛者への関心の差であり,常にエイズにつきまとう問題となる。4 ニコラス・ニクソンの写真の問題ニューヨーク近代美術館におけるニコラス・ニクソンの展覧会は1988年,エイズ・パニックの最中に開催されたことをもう一度確認し,上記した社会的背景を考慮に入れ,ニコラス・ニクソンの写真の問題点を考えてみたい。第一に,エイズ・パニックを引き起こしたマス・メディアのエイズ表象の問題点がすべてニクソンの作品に引き継がれてしまっていることである。ニクソンの作品の多くはフレームの中に若い男性の同性愛者と思われる被写体一人だけを写している。被写体の孤独と社会的孤立が暗輸されている。また彼らをしばしばアップで捉え,一目でエイズの症候とわかるカポジ肉腫が現れた身体を象徴的な印として多用し,醜く衰えた肉体に点滴のチューブや酸素マスクを付けて,死に瀕しているエイズの犠牲者として表わす。エイズ患者のステレオタイプがアートの名の下にここでも強化されている。こうした類型化によって,治癒不可能な性感染症としてのみのエイズ理解が促進-33-
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