鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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同(3)と同著pp.3537参照。(13) ブルーノ・J・リヒッフェルト「ミュンヘンのシーボルト・コレクションJ'(3)と同(14) (3)と同著pp.3841参照。(15) ヨハネス・ウィーニンガー「ウィーンのシーボルト・コレクション」,(1)の展覧会(19) (15)と同著pp.122-123参照。ancier et collectionneur d’αrt asiatique’,EBISU numero hors serie, 1998, hiver参ている。A.シーボルト『シーボルト最後の日本旅行』(平凡社東洋文庫,1981)著pp.101-115参照。カタログおよび(3)と同著pp.116-128参照。同向上論文p.121仰向上論文p.126および(1)の展覧会カタログpp.169〜および河野元昭「シーボルト・コレクションの美術史的意義」,(3)と同著pp.182194を参照。同『ウィーンのジャポニスム』展カタログ参照。東武美術館,山口県立美術館,愛知県美術館,高松市美術館,神奈川県立近代美術館,1994-1995側原田敦子「[調査報告]オーストリア国立工芸美術館(MAK)所蔵,ハインリッヒ・シーボルト・コレクションの浮世絵について」『宮城県美術館研究紀要』第8号,1996倒52枚ほどのコンピューターディスク(Lad巴)に,l枚最高40枚が入力されている。例えば鈴木春信はLade4に入っている。同住吉派風の幅25cmほどの肉筆画巻(MAL346)と湖竜斎風の色刷り版画を幅lOcmほどの画巻にしたもの2点。津,北京,4月に承徳(ジョホール),張家口(カルガン)などモンゴル地域,5月に北京,6月に広東,マカオ,上海,7月にパタヴィア(ジャカルタ),バンドン,ジョクジャカルタ,8月にパタヴイアからセイロン島,9月にセイロンからインド南端,10月にマドラスからカルカッタ,11月にベナレス,アグラ,デリー,ラホール,12月にアグラに引き返し,ジャイプール,ボンベイから1873年1月に帰国した。展覧会カタログHENRICERNUSCHI voyageur et collectionneur, Musee Cernuschi, 1998および‘HENRICERNUSCHI (1821 1896) homme politique, fin--432 ω チェルヌスキとテゃユレは1871年の10月25日に横浜に上陸し,11月,12月と江戸に滞在。翌年1月に京都など関西を見物し,2月に長崎から上海,南京,3月に天

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