鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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市岩瀬文庫所蔵の一点,武田科学振興財団杏雨書屋所蔵の三点とさらに近年見出された同じく杏雨書屋所蔵の一点,計五点の「中山花木図jを取り上げる(注2)。まず「中山花木図」の概要を説明したい。〔資料1〕に掲げたのが現在確認できる探元筆「中山花木図」である(摸本を含む)。大別して〈程順則着賛本〉系統と,賛のない〈無賛本〉系統に分かれる。〈杏雨書屋A本,B本,C本〉の三本が河野氏が報告されたものである(注3)。まず折本である〈杏雨書屋A本〉〔図l〕は,冒頭に,京都の儒学者である大江玄圃(資衡)の「中山花木図jという題ではじまり,一頁に一図ずつ,琉球の花が計三図描かれ,そこにはそれぞれ五言律詩の賛が加えられている。巻末には大江玄圃による政文が添えられており〔資料2〕,そこから明和7年(1770)の制作であることが知れる。次に画巻の〈杏雨書屋B本〉は,京都の儒学者である宮崎筒固による「中山花木図譜Jという題ではじまる。そして〔資料3〕にあげた版文から,宝暦12年(1762)に制作されたことが確認できる。〔資料4〕に掲げたものは,各作品の肢文から,現在所在不明のものを含めた「中山花木図」という作品の系統図である。〈杏雨書屋B本〉および〈岩瀬文庫本〉そして〈杏雨書屋C本〉は,それぞれ京都の福井氏の所蔵していたという〈福井本〉から制作された摸本であるため内容はほぼ同じであった。また〈杏雨書屋C本〉は〈岩瀬文庫本〉のさらなる摸本であることが巻末から知れる。〈無賛本〉については後述したい。まず〔資料4〕に掲げた同系統のものの代表として,〈岩瀬文庫本〉を取り上げてみていきたい。巻頭には「中山/花木/図/海西宮奇書」とあり「海西宮奇jつまり江戸中期の儒学者・宮崎笥圃の題字をもってはじまる〔図2-1〕。次に「陽明家所蔵之花木図,輿福本異,有画無讃,蓋絹本也。目次如左。」〔図2-2〕とある。このことから,近衛家には別系統の,つまり画はあるが,賛のない花木図,そしてそれは紙本ではなく絹本である,という花木図が所蔵されていた,ということがわかる。更に,その近衛家本の図に描かれた花や木が列記されている。「イ弗桑花(ぶっそうげ)/三段花(さんだんか)/玉替花(ぎょくさんか)/千年草(せんねんそう)/名護蘭(なごらん)/風蘭(ふうらん)/龍眼樹(りゅうがんじゅ)/来荊花(まつりか)/美人蕉(ぴじんしょう)/琉球称日,恵美祢(えびね)/黄蘭(おうらん)/椿(つばき)/琉球称日,都具(つぐ)/木瓜(ぼけ)/格(ょう)」以上十五種の花や木が描かれていたことがわかる。440

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