鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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そして近衛家本に捺されている四印を写している。四印の内,下の三印は探元が用いていた印である。更に「今写四図,以補福本之闘云jとあり,近衛家本から四図写し取られている,ということがわかる。第l図は「美人蕉」という花が描かれている〔図2-3〕。この図には賛は添えられていない。第2図は「千年草」という花である〔図24〕。その右脇に[正徳甲午秋日,中山程順則題ス」とある。左方に五言律詩の賛が添えられている。つまり正徳4年(1714),琉球の程Jll買則が薩摩に来たときに加えられたものであるということがわかる。以下,十二の花や木に賛が添えられており,それぞれの花や木にまつわる詩が美しく詠まれている。第3図は「黒椋」〔図2-5〕,第4図は「扶桑花」〔図2-6〕,第5図は「玉箸花」〔図2-7〕,第6図は「名護蘭」〔図28〕,第7図は「青茎蘭」〔図2 9〕,第8図は「惜老根j〔図2-10〕,第9図は「三段花」〔図2-11〕,第10図は「莱荊花j〔図2-12〕,第12図は「龍眼樹」〔図213〕,第12図は「掛蘭」〔図214〕,第13図は「格樹」〔図2-15〕,第14図は「黄蘭J(賛なし),第15図は「木瓜」(賛なし)〔図2 -16〕,第16図は「椿J(賛なし)〔図2-17〕である。賛のないものは第l図と第14〜16図である。つまり冒頭に「今写四図,以補福本之闘云jと記されていたように,これら4図が,賛のない近衛家本から写し取られたものである,ということがいえる。最後は,題字と同じ宮崎筒圃による政文で締めくくられている〔図2-18〕。このように概観してみると,この〈岩瀬文庫本〉に記された宮崎筒圃による題践にも記されているように,探元の「中山花木図Jには,程順則の賛のあるものと,「陽明家J即ち近衛家に所蔵されていたという無賛本のものの二系統あることが確認できる。さて,この近衛家に所蔵されていたという〈無賛本〉探元筆「中山花木図」とはいかなるものだったのであろうか。〈杏雨書屋本〉を調査された河野元昭氏は,昭和62年現在,この〈無賛本〉は陽明文庫にも伝わっていないことを確認されている(注4)。また探元の研究史においても一度も触れられることはなく,その所在も全くの不明であった。しかしながら,平成5年に東京国立博物館で開催された「特別展花jに「中山花木図譜」と称する一点の探元の作品が出品された〔図3〕。結論から先に述べると,この作品は,〈岩瀬文庫本〉の冒頭に記された目録〔図2-I〕の近衛家旧蔵〈無賛本〉,つまり河野氏が所在不明とされたものであったことを確認した。-441-

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