こうした時代において,昔ながらのフォト・ジャーナリズムやドキュメンタリーの手法はもはや通用しなくなった。フォト・ジャーナリズムやドキュメンタリーは,カメラの機械としての客観性への素朴な信奉によって成り立っていた。しかし,写真が嘘をっき,撮影者の主観や立場,呈示の仕方,媒体等に,その写真の意味内容までが様々に左右されることが明白になった今,旧来のフォト・ジャーナリストやドキユメンタリストが採ってきた全ての人を代表して何らかのイメージを発信するような特権性は無効にならざるを得なくなったのである。戦後アメリカを代表する写真家の一人であるニコラス・ニクソンがこのような重要な写真の動向に鈍感であったはずはない。事実,ニクソンが写真集『Peopl巴WithAIDSj で、採った手法は,こうした動向をかなり意識していた結果であると思われる。すでに述べたように,『PeopleWith AIDSjには,ニクソンの写真と共に,彼の妻であり科学ジャーナリストであるベベ・ニクソンによるそれぞれの被写体へのインタビューを元にしたかなり長い文章が添えられている。他のシリーズをテーマにしたニクソンの写真集,『NicholasNixon : Photographs From One Yead (1983) (注12)ゃrFamilyPictures : Photographs by Nicholas Nixonj (1991) (注13),問題になったニューヨーク近代美術館の展覧会のカタログ『NicholasNixon : Pictures of Peoplej (1988) (注14),最新写真集『NicholasNixon : The Brown Sistersj (1999) (注15)には,作品に添えてロノfート・アダムズやピーター・ガラシの解説が掲載されている。いわゆるオーソドックスな展覧会図録や写真集の作りである。家族は別にしても,ニクソンの被写体は第三者を対象にしていることが多いが,そうした場合でも彼らの言葉やインタビ、ューを作品の一部として掲載してはいない。ポートレイトにおける純粋に美学的な視覚的可能性を追求した面が大きいのである。翻ってエイズと共に生きる人々をテーマにしたときだけは,彼は従来の方法を採らなかった。インタビ、ユーを掲載することで「共同制作(col-laboration) Jの形式を応用した。「共同制作」は,70,80年代におけるドキュメンタリー批判の結果出てきた,当事者以外が作者である場合の,言い換えれば,当事者ではない者が他者を表象する場合の,一つの方法論である。インタビューを掲載することは被写体側からの声を伝えることである。ニクソン一人の視点だけではなく,被写体のそれを盛り込むことによって,作品の意味を重層化させることである。「エイズ患者一般」の肖像から,複雑な人生を生きる一人の固有名詞を持った人間の肖像へと導く手だてであった。35
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