鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
47/763

る0q,皮の「ナーシング・ホーム・シリーズ」(1985年)は,マサチューセツツ州ケンブにもかかわらず,ニクソンの共同制作の戦略が成功しているとはいいがたい。問題はどこにあったのか。ここではジム・ゴールドパーグの作品と比較することで問題を明確にしたい。ジム・ゴールドパーグはドキュメンタリー写真に社会学的手法を応用した先駆者であリッジにあるネヴイル・マナー老人介護施設に7カ月通いつめ,そこに暮らす人々を撮影したものである。彼は16×20インチの印画紙に写真を焼き付けているが,通常よりもかなり余白をとっている。被写体に自分が写った写真についてコメントを書いてもらうためである。例えばモデルとなったビール氏は,ふるえる筆でこう書いている。「これはいい写真だ。私はつらく激しい人生を生きてきた。商船の船乗りだった。戦争,不況,戦争,大騒ぎだ、った。今,私の生活は以前よりもず、っと安らかだ。ここでは何もかもやってくれる。とても気に入っている。いい生活だよ。ただ,酒は懐かしいけどね」(注16)。ゴールドパーグは他に,貧しい人と富んだ人を撮った『Richand Poor』やロサンジェルスとサンフランシスコの家出少年少女を約10年をかけて追った大作『狼に育てられて』で知られている。どの作品もモデルとなった人が余白にコメントを寄せている。こうした文章は被写体からのメッセージとして写真の解釈を膨らますのと同時に,自筆で書かれた文字はグラフイティとして,イメージの一部としての視覚的効果も持つ。加えてゴールドパーグは,社会学者がフィールドワークをするように,主題についての念入りな取材と調査をして,彼自身の見解を詳細に記すのである。二重三重の意味の仕掛けを施しながらも彼は自分の写真をドキュメンタリーと呼ぶのをためらう。それはまさにロパート・レヴェラントが言うように「シャッターを押す度に,フィクシヨンが生まれる。何かが現実から切り離されて似て非なる二つの意味合いを持つようになる」(注17)ことへの自覚である。ここで明白になるのは被写体との共同制作は必要条件で、はあるが十分条件で、はないということだ。写真を撮る承諾を取り,インタビ、ューを掲載したとしても,被写体は写真家に自分の全人格を投げ出すような白紙委任状を渡しているわけではない。インタビューの掲載は共同制作であることのいいわけにはならない。問題となったニューヨーク近代美術館での展示にインタビ、ユーが付されていなかったのを見ても,ニクソンの作品において重きがなされているのはあくまでも写真である。対してゴールド36

元のページ  ../index.html#47

このブックを見る