(3) ピカレスク小説の影響らフランドル絵画に学んだものであろう。日本語で悪漢小説と訳されるピカレスク小説の影響も従来の研究において繰り返し指摘されてきた。特に『ラサリーリョ・デ・トルメス』ゃ『グスマン・デ・アルフアラーチェ』との関係が指摘されてきたが,いずれも具体的な場面の関連性を指摘することができない。初期の2作品〔図l〕〔図2〕に見られる笑っている少年の姿が,これらピカレスク小説の遅しく世の中を生き抜いていく主人公のイメージと重ねられていると考えられる。しかし,ベラスケスのボデゴンに描かれる庶民の姿は,その大半が小説の悪漢とは異なるシリアスな人物像として描かれている。この点で必ずしもベラスケスのボデゴンとピカレスク小説は結びつかない。ただし,これらの小説の主人公のように無頼で小ずるく生きる姿は,下層社会に遣しく生きる人々と重なりあって当時の社会に共通のイメージとして誰もが知る庶民の典型的姿であったという点ではこの両者の影響関係も否定できない(注6)。ベラスケスのボデゴンが以上述べてきた事項の影響下に出発していることは確かで、あるが,やがてベラスケスは,それらを元に技法的にも内容的にも独自の絵画を作り上げていくのである。その独自性は,ベラスケスのボデゴンが,教訓的意味を持つという点にある。先に述べた『グスマン・デ・アルフアラーチェJは,ピカレスク小説であるが,痛快というより,教訓的な意味を内包した文学作品である。その点でベラスケス作品の持つ教訓的意味に影響しているといえる。しかし,どの部分が関係しているのかを具体的に示唆することはできないで、いる。上記に述べた三つの影響に加えて教訓的テキストの存在がベラスケスのボデゴンに大きく影響していると考えられる。ベラスケスのボデゴンの直接的な着想源は上記の3点よりもこの点にあるのではないかと推測する。筆者がここでいう教訓的テキストとは,ボデゴンの教訓的意味の典拠となる具体的な文章や資料のような成文化されたものというよりも諺や言い伝えなどの庶民の聞に伝えられていたようなものを指す(注7)。そのような庶民の誰もが知っているような諺などの教訓的な意味をベラスケスは,庶民の日常の場面にひそませていたのではないかと考えられるのである。そうすることによって後に述べるセピーリャ時代のベラスケスのパトロンや彼の絵画を目にしていた知識層の人々の好奇心に応える新しい絵画を模索していたのではないだろうか。-473-
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