鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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や藍の強い色合いは,新しい文物の活況を表現するには一定の効果をあげているが,当然実際の色とはかけ離れている。清親はその代わり,もっと繊細な色を選んだ。水色,ピンク色,黄緑といった中間色の多様な色遣いは,同時代の浮世絵に決してみることのできないものであり,混色によって作り出すことが可能であることを考えても,「浅草田甫太郎稲荷前」の薄紫色や「安部河の富士」の三色に染め分けられた空の色など,現実の色はどうあれ,新鮮な印象を受ける。「光線画j作品の中でも,「第一囲内国勧業博覧会瓦斯館之図(イルミネーション)Jは,銅版画のハッチングの技法が巧妙に模倣されて,しかも全体として破綻のない,極めて完成度の高い作品となっている点で際だっている。人物描写も淡々とした味わいで稚拙さは感じさせない。清親の写生帖は失われた部分も多いので,「光線画」と完全な対照ができるわけではない。その中で「両国焼跡」〔図1〕は,写生からのかなり忠実な引き写しが確認できるものである。しかし立ったまま焼かれた立木が一本から二本になり,夜景ではないのにシルエットだけで描かれた人々は皆ことさらに衣の裾を左にひくという演出のために,寂塞感が際だち,その効果によって情景による心象描写ということさえ考えさせられる。「浜町より写両国大火」や「両国大火浅草橋jには直接の原図は残らないようであるが,火事の写生に夢中になり家を焼いた,という逸話も残るとおり,幾枚も描いていたと思われる(注1)。この場合にも,版画そのままの写生をしていたわけではないだろう。炎は線に縛られることなく,中間色が何色も使われて流動している。火事を実見したり,映像を見ることによって,炎によって周囲が朱に染まることを視覚的に了解していても,「久松町ニ而見る出火Jの,画面全体を朱に塗りつぶす表現には,驚かされる。江戸名所というシリーズの中に火災の場面がいくつも入っているのは,考えれば奇妙で、ある。火事は江戸の華とはいっても,それを名所として組み込んだことは,かつてなかった。しかしこの時代,浮世絵はより一層報道画としての役割が期待されており,清親の作品はその要請に応えるものであったに違いない。「隅田J11夜」〔図2〕は,隅田川の堤を男女が歩いており,ハットを被りステッキを持った旦那風の男と,それに従っている女に,なんらかのドラマを見いだしてしまう情景である。歌川広重の名所江戸百景に「真乳山山谷堀夜景J〔図3〕があるが,真乳山今戸橋を夜景に描き,料亭の明かりが隅田川に反射しているところなど,清親の絵と共通している。しかも広重の絵では前景の人物は,光線画のようにシルエットとは-493-

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