鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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合も,写生はあくまで写生であって,木版画となった場合には,それらは再構成されている。それでも,写生で目に留めた,光による立体表現を木版画で再現しようと試みたのは,清親をおいて他になかったことは確かである(注3)。東京名所図は,結果的にシリーズものとなり,最初からの組み物ではないが,それにしても技法のばらつきには,看過できないものがある。それは題材によるのでもなく,年代によって変わるのでもない。また,彫り,摺りに巧拙があるわけではない。対象を表現する方法にばらつきがあったのである。従来の錦絵の作り方が通用しなかった清親の「光線画Jは,j青親本人も加わっての試行錯誤のうちに,出来上がっていった。写生には優れていても,それを本絵にすることにはかなりのむらがあったことが考えられる。この表現にはこの技法を当てはめる,というような約束事が,なかなか確立しなかったのではないだろうか。浮世絵の画面は,輪郭線とその中を塗り分ける面から構成されている。それは見たままではなく,特有の約束事に基づいている。確立していない表現の模索のうちには,「イルミネーションjのように,多分間接的にでも典拠があれば,優れたものになる可能性もあり,逆に稚拙なものにも成り得たのではないだろうか。明治14年(1881)に,清親が「光線画jを作らなくなってのち,井上安治が後を引き継ぐように「光線画Jを続けているが,その内容は清親と比べると驚くほど均質である。清親の江戸名所の構図も取り込んだ「東京真画名所図解jのシリーズをみると,安治の持ち味ということがあるにせよ,清親においては試行錯誤の葛藤を感じさせていた「光線画Jが,技法的完成をみているように思われる。ここで「猫と提燈J〔図4〕「鴨と枯蓮J「目白と柿」「鉄砲打漁師jといった一連の大判版画に触れたい。木版画の可能性の限界を試みたともいえるこれらの作品は,「光線画jと並んで評価の高いものである。中でも「猫と提燈jは第一囲内国勧業博覧会に出品されたとされている。従来の木版画制作の範障を超えた重ね摺りを行っているため,色が濁り,木版画の持つ切れのよい軽快さといった特色は,失われている。画題は従来指摘されている通り,西洋画のジャンルに当てはめることができ,目標とする作品もおそらくはあったことだろう。そのイメージの確かさが,これらの作品の完成度の高さを生んでいるのではないだろうか。内国勧業博覧会は,当時の雑多な産業技術の成果を見せる祭典であったが,技術を尽くして油彩画ないしは石版画の表現を木版画に移し変えるという試みは,その意図にこの上なくふさわしかったといえるだ-495-

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