⑪ ベルゼ・ラ・ヴィルのロマネスク壁画の研究一一アプシス壁画の図像プログラムに関する一考察一一研究者:東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程向井隆広はじめにいわゆる「クリュニ一美術」とは,クリュニー修道院の歴史全体に及ぶ創造活動をいうのではない。910年に創設され,フランス革命の後に廃院となるまでの900年の長きにわたるこの修道院の客観的時間の流れのなかで,「クリュニ一美術」と称される芸術動向とは,じつに同修道院の政治的絶頂期すなわち11世紀後半から12世紀前半に展開された,一大宗教的文化的柑塙とでもいうべきものである。クリュニーから南へ下ることおよそ12キロメートルの地点に位置するベルゼ・ラ・ヴイル(Berzふla-Ville)の礼拝堂壁画は,この高度に有機的な複合体としての「クリュニ一美術」を体現した,12世紀初頭のフランス・ロマネスク絵画を代表する傑作のひとつである。本研究は,この礼拝堂壁画をめぐる諸問題のうち,アプシスの図像プログラムの再解釈をめざしたものである(注1)。ベルゼ・ラ・ヴイルのアプシスは,半円蓋,スパンドレル,三つの開口部をはさんだブラインド・アーチ,そして腰壁という四つのゾーンからなる〔図l〕。内陣の切妻にあらわされた「神の芸」の下,第一ゾーンである半円蓋には,キリストを中心に十二人の使徒,および二人の助祭と三人の司教が配され,とくに中央のキリスト,ベテロ,パウロの三人物の関係から,同場面は4世紀のローマで盛んにあらわされた「トラデイティオ・レーギス」と同定されてきた(注2)〔図2〕。また第二ゾーンのスパンドレルには,正面向きの殉教聖女の半身像が六人ならび,それぞれのもつアトリビュートから,「賢い乙女Jの寓意と解釈されてきた(注3)〔図3〕。第三ゾーンの北側ブラインド・アーチには「聖ブラシウスの奇蹟語と殉教場面Jが,おなじく南側ブラインド・アーチには「聖ヴインケンテイウスの殉教場面」があらわされている(注4)〔図4,5〕。そして第四ゾーンの腰壁には,正面向きの殉教聖人の半身像が六人ならんでいる(注5)〔図6〕。ベルゼ・ラ・ヴイルの図像プログラムの考察にあたっては,従来,とくに半円蓋の「トラデイティオ・レーギス」の属性のひとつと考えられる「ベテロの優位性」を強調し,これをアプシス全体に敷桁させる傾向が強かった。さらにはアキテーヌ公ギヨー-505-
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