ムによるペテロとパウロへの献堂と,教皇への直属というクリュニー修道院創設の趣意宣言を踏まえて,「ローマ教皇に対するクリュニー修道院の直接的な従属の表明」と解釈されてきた(注6)。本研究は,こうしたベルゼ・ラ・ヴイルをたんなるクリュニーの一娘修道院,つまり教皇直属の一小修道院とみなす見解に対し,より自立した特質をそなえたものとしてf足えなおそうとするものである。ベルゼ・ラ・ヴイルのアプシス壁画は,クリユニー修道院の精神の明確な顕示とともに,私的礼拝堂的特質をも有するというこ面性をもっ。本研究は,このうちクリユニー精神の顕示という面をそなえた半円蓋,スパンドレル,腰壁の三つのゾーンに考察の対象をしぼる。まず半円蓋の図像が,初期キリスト教時代の「トラデイティオ・レーギス」のたんなる復刻ではなく,独自の解釈,改変であることを明らかにする。次に,漠然と言い習わされてきたスパンドレルの殉教聖女像と「賢い乙女Jとの関係を,同図像の表現形式の伝統と照応させつつ,その系譜のなかでの位置づけを試み,その特異性を浮き彫りにする。そしてこれを,初期キリスト教時代からのアプシスの装飾プログラムを構成する一要素として捉え直し,さらにこの形式を腰壁の殉教聖人像にも適用する。最後に,以上の各ゾーン個別の図像学的分析を踏まえて,ロマネスクにおけるアプシス装飾の多層構成という文脈からそれらを総合し,これによってベルゼ・ラ・ヴイルのアプシス壁画が,初期キリスト教時代に生成した各図像と図像構成の形式のロマネスク的改変,発展であることを明らかにする。1.半円蓋の図像半円蓋の図像は,おおよそ4世紀のローマを中心に発展した「トラデイテイオ・レーギス」,すなわち「聖パウロの面前で聖ペテロに新しき律法を授けるキリスト」と同定されてきた(注7)。そしてとくに三人のなかでベテロに重点が置かれ,「初代教皇ベテロへの特権の授与」に,クリュニー修道院創設の理念が重ねられ,「ペテロに託されたローマ教会の正当性とそれに対する直接的な従属の表明Jと解釈されてきた。それはこの場面が,キリストを中心に向かつて左側にパウロを,右側にペテロを配し,ベテロがキリストから聞かれた巻物を受け取るというこの図像の基本的な表現上の公式に則っているからである。しかしたとえば,4世紀中葉制作のサンタ・コンスタンツア廟堂北アプシスのモザイクと比較してみても,初見においてすらすでに,共通するのは既述のコンポジションと,聞かれた巻物という象徴的モチーフのみであるのがわ506
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