鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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なEとそこから流れる四本の河(現在では三本のみ認められる),丘をはさむように左かる〔図7〕。大きな相違点は第一に,サンタ・コンスタンツァのキリストが立像であるのに対し,ベルゼ・ラ・ヴイルの方はマンドルラに固まれた坐像である点,第二はベルゼ・ラ・ヴイルにはサンタ・コンスタンツァにはない使徒たちの群像が組み込まれている点である。それ以外にサンタ・コンスタンツァでは,キリストの足元に小さ右二頭ずつ計四頭の羊,アプシスの両端に丸屋根の建築モチーフと椋欄が一本ずつあらわされている。しかしこうした付随的なモチーフは,小規模のアプシスや石棺といったそれぞれの形式がアプリオリに要請する固有の枠組みにしたがって省略される場合が多く,そのためベルゼ・ラ・ヴイルにおけるこれら付随的なモチーフの有無が,図像同定上の判断材料となる余地はない(注8)。カールによれば,キリストが立像であらわされた「トラデイティオ・レーギス」は,5世紀前半以降,12世紀後半のテイヴォリのサン・シルヴェストロのアプシス壁画にいたるまで確認されていないという(注9)。したがってベルゼ・ラ・ヴイルにみられる坐像のキリストについては,別の図像もしくは表現形式の伝統からの継承の可能性を検討しなければならない。そもそも「トラデイティオ・レーギス」以外の,中央に坐像のキリストを,左右にベテロとパウロを配するという形式は,4世紀後半から5世紀前半におけるローマのドミテイツラ〔図8〕やサンテイ・ピエトロ・エ・マルチエツリーノのカタコンベにみられるように長い伝統をもち,中世においても,たとえばシチリア島のパレルモの宮廷礼拝堂や旧サン・ビエトロにも確認される。それが9世紀以降とくに12世紀になって,坐像のキリストをはさんで立つベテロとパウロが,「マイエスタス・ドミニ」のキリストの「証人」としてのペテロとパウロに,しばしば置き換えられるようになった。マンドルラのなか,虹の上に坐すキリストのヴィジョンは,これを取り囲む四つの活き物とともに『黙示録』第4章3節および7〜11節を反映していた。これとおなじく,四つの活き物の代わりに,『黙示録』第11章3〜7節を反映したペテロとパウロがこの場面にあらわされるようになる(注10)。ベルゼ・ラ・ヴイルの「トラデイティオ・レーギスjは,初期キリスト教時代の形式を基本的に踏襲しながら,マンドルラに固まれ虹の上に坐すキリストを組み入れ,「マイエスタス・ドミニjの属性をもつようになったと考えられる。その際,「トラデイティオ・レーギス」ではない坐像のキリスト,ペテロ,パウロからなる三人像の形式が,視覚化のための造形上のインスピレーションとなった可能性は高い。-507-

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