7王(1) ベルゼ・ラ・ヴイルの礼拝堂壁画に関する基本文献は以下のとおりである。F.ラム構成上の意味を失い独立の色を強めていったが,アプシスの下層,半円蓋の下にあらわされるという形式そのものはその後も継承されていったとおもわれる。ロマネスク時代のローマのサンタ・マリア・ヴイア・ラータ初期聖堂,トゥスカーニアのサン・ピエトロ聖堂にもそれは認められ,両聖堂ともに初期キリスト教時代の教会堂装飾プログラムを忠実に反映したものとして解釈されている(注21)〔図16〕。たとえばサン・ピエトロ聖堂のアプシス半円蓋には,キリストの「昇天」とそれを見つめる使徒たちが描かれ,最下層にはメダイヨンに配された聖人の胸像の列が認められる。ベルゼ・ラ・ヴイルの礼拝堂アプシスの壁画が,この系譜に連なるのはいうまでもない。ベルゼ・ラ・ヴイルの礼拝堂アプシスの壁画には半円蓋に端的にあらわされた「コレジアリテ」の理念,スパンドレルや腰壁に配された殉教聖人や聖女の選択にみられるように,クリュニー修道院の強い意向が反映されている。それはクリュニー修道院としてのアイデンテイティを示唆するものであるが,しかしそれらをアプシスという空間に視覚化するにあたっては,実際的な構成上のインスピレーションの源泉をローマ,ひいては初期キリスト教時代に求めた。「トラデイティオ・レーギス」は4世紀に発展したローマ特有の図像であり,アプシス下層に殉教聖人,殉教聖女の列を配するという構成形式も,おそらく初期キリスト教時代にさかのぼりうるものとおもわれる。しかし同時にそこには,「トラデイテイオ・レーギス」に「神の顕現」の表現形式を付与したり,スパンドレルという特異な空間を利用して描いた殉教聖女像に「賢い乙女」の寓意を反映させたり,腰壁でメダイヨンの代わりに独特なカーテン・モチーフを採用するなど,独自の工夫もみられる。そしてこうした独自性に対するベルゼ・ラ・ヴイルのもうひとつの側面である私的礼拝堂的特質は,第三ゾーンのブラインド・アーチで展開される「聖ヴインケンテイウスの殉教場面」と「聖ブラシウスの奇蹟謹と殉教場面jを分析することで明らかになると考えられるが,それについてはまた,別の考察の機会に譲りたいとおもう。Mercier, Les Primit柿fran<;ais: La peinture clunisienne en Bourgogne a l’epoque ro-mane : Son histoire et sa technique, Macon, 1931 ; F. M巴rcier,“Berze-la-Ville,”in : Congres Archeologique de France XCVlll, 1936, pp. 485-502 ; H. Focillon,
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