鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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の延長線上に,例えば狩野山雪筆「蘭亭曲水図扉風」(随心院)のような濃彩の中国主題作品にみる異国表現としての青緑山水画的表現があるように思われる。池大雅は,主に中国主題の作品に青緑山水的表現をしばしば用いた。例えば,30代と推定される「沈香看花・楓林停車図扉風J(個人)では,目立たないが,岩の部分には緑青,群青が施され,墨の線の周囲に抑揚のある金泥の線が描き込まれる。同系列の金泥の使用は,宝暦13年41歳の「龍山勝会・蘭亭曲水図扉風」(静岡県立美術館)'40 代とされる「楼閣山水図扉風」(岳陽楼・酔翁亭)(東京国立博物館)の土坂にもみられる。緑青,群青,赤を塗る本扉風は,原本とされる「張還真翁祝寿画冊jが金筆紙であったため,金扉風が使用されたという説明もあるが,むしろ,ある種「洞庭赤壁図巻」と通ずる造形性を持つと思われ,何れも装飾的効果が意図されているように思える。また,宝暦13年の「青緑山水画帖」(サントリー美術館)でも,雪景を含む全ての頁に金泥の括りがされる。木の幹,楼閣など一般に金泥を使用しない箇所にも,執劫に金泥の線を添える手法は,大雅が当時,金碧青緑山水的表現に強い関心を寄せた痕跡と考えられよう。本画冊でも典型的な場面は,瑞雲たなびく楼閉山水〔図8〕で,大雅の金碧画の特徴の一つで「洞庭赤壁図巻」にも見られた遠山を金泥で塗りつぶす手法が見られる。これは,住吉知慶「時代不同歌合j見返し(静嘉堂文庫美術館)に,また先に触れた仏画山水や例えば法隆寺東院絵殿の吉村周圭筆「聖徳太子絵伝」障子本模写の山岳表現の金泥の面的な施し方と類似しており直接的な影響関係はないにしろ,共通要素がみうけられ,興味深い。因みに,本画冊は,しばしば大雅作品において語られる「光」が意図された表現が認められるという(注12)。なお,私見では本画冊と「洞庭赤壁図巻jとはやや性質が異なるように思われ,おそらくそれは「洞庭赤壁図巻」の方は,大雅自身も唐風青緑山水を意図して描いたであろう事と関係するように思える。今日,大雅の代表作とされる多くは,淡彩の瑞々しい作風だが,一種の青緑山水的画法も,確実に当時の人々に賞賛されていた。「洞庭赤壁図巻」を正確に写し,体裁までも真似た青木夙夜筆「洞庭湖図巻J(福岡市美術館),右隻に赤壁,左隻に洞庭湖を配し,大雅作品中の特徴的なモチーフをも漏らさず描き込んだ福原五岳「洞庭湖図扉風」(個人)(注13)などは,本画巻がいかに珍重され,影響力を持ったかを如実に示している。そしてこの種の画法は,夙夜,五岳,桑山王洲らの着色表現において各々3-2 意識的受容の時代ーいわゆる「文人画」の画題,画法として一-525-

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