cu ⑩ 15世紀末のフランドル絵画に見られる口ヒール様式流行現象の解明一一群小画家たちによるロヒール風絵画の制作過程と販売形態一一一研究者:東海大学非常勤講師平岡洋子1 研究史と本稿の方針ロヒール・ファン・デル・ウェイデンが1464年に没した後,南ネーデルラント地方では,今日逸名画家としてその名をそれぞれの基準作から命名されている群小画家たち(注1)が,ロヒールの作品のコピーやそれらを祖型とした作品を数多く制作した。中でも聖母子像が多く作られた。半身の聖母子像の作品は,縦30〜40cm前後,横20〜30cm前後のものと,より小型な縦20〜30cm前後,横10〜20cm前後のもので,個人用祈念画と考えられる。閉ざされし庭や王座に座す全身像の作品は,縦lOOcm前後,横60〜80cm前後で、礼拝堂の祭壇画で、あったと思われる。これらの聖母子像を扱った先行研究としては,フォスの80点以上の聖母子像をタイプ分けし,各類型の祖型をロベール・カンパンの聖母像迄遡って求め,20程の系統に分類した論文がある(注2)。また,ダイクストラはロヒールの4点の〈聖母を描く聖ルカ〉を調査し,聖母の全身像の模造用カルトンが存在してレプリカ制作に使われたのではないかと述べ,それが聖母の全身像から半身像への翻案に用いられた可能性を指摘している(注3)。また,ロヒールの聖母子半身像を一方の翼とする半身祈念肖像画二連板を対象とした雌川女史の論文は,ロヒールの三組の作品について椴密な観察と分析を加え,半身祈念肖像画二連板成立の事情を記している。その論文では,アトリエに聖母子や祈念者の半身像のパターンが常備されており,なかば偶然に両者が組み合わされる形でこのような祈念像二連板という形式が生まれたのではないかと提言されている。さらに半身の聖母子像が15世紀半ばから急速に増大した外的要因として,1439年,42年のフイレンツェ公会議によるマリア信仰の奨励と,十字軍遠征の気運を盛り上げるために繰り返されたプロセッションの装飾として聖母子像が掲げられた可能性が高いことを述べている。そして,流麗な線で輪郭をくっきりと浮かび上がらせたロヒール作品の持つ表現性が,この機能にふさわしいものであったと言う(注4)。これらの外的要因とロヒール様式の特徴が多くの人の目に触れる機能に相応しかったという峰川女史の指摘は興味深い。また,ダイクストラ,峰川女史の両者が,聖母子半身像制作過程と半身祈念板二連板成立の契機として型紙の存在を示唆している
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