⑤ モーリス・ルイスとクレメン卜・グリーンパーグ一一往復書簡の分析を通した1950年代アメリカ美術と美術批評の再検討一一研究者:ニューヨーク大学大学院美術研究所博士課程加治屋健司この論文では,アメリカの画家モーリス・ルイスと批評家クレメント・グリーンパーグを取り上げ,両者におけるフォーマリズムを再検討する。往復書簡の分析を通して,1950年代アメリカ美術を再定義するための視点を提唱したい。ルイスはどのような画家だったのか。「カラー・フィールド・ペインテイング」と一括されることの多いルイスの作品は,実際は,彼が表舞台で活躍したわずか10年間に何度も変化している。1912年生まれのルイスが初めて個展を聞くのは53年で,41歳の時だ。その後,54年にヴェール(覆い)・シリーズ〔図l〕,55年から57年にかけて抽象表現主義的作品〔図2〕に取り組み,58年に,55年以来の作品を約300点破棄した後,再びヴェール・シリーズ〔図3,図4〕に戻った。60年にはアンファールド(展開された)・シリーズ〔図5〕,61年からはストライプ・シリーズ〔図6〕に取り組んだが,ヴァスにしみ込ませるステイニング(たらし込み)という方法に特徴がある。54年以降,アクリル絵の具を専ら使い,58年以降,地塗りしていない大きなカンヴァスを用いることによって,ルイスはその方法を確立した。ルイスの経歴は,グリーンパーグとの密接な関係を示している。ワシントンの一美術教師だったルイスを,ニューヨークの美術界に引き入れたのは,グリーンパーグだ。自ら企画した54年の「出現する才能」展にルイスの作品を選び\ニューヨークで初めて作品を展示する機会を与えたのだ。ステイニングを始めるきっかけとなったヘレン・フランケンサーラーとの出会いもまたグリーンパーグが準備したものだ、った。ルイスはグリーンパーグとの親交の厚さで知られ,その絵画作品はフォーマリズム批評の申し子のように考えられてきた。従って,グリーンパーグのフォーマリズム批評に対する批判が定着した現在,わざわざ,ルイスの絵画を取り上げようとする者は少ない(注1)。しかし,グリーンパーグが実際にルイスの絵画をどう捉えていたのかはそれほど自明ではない。グリーンパーグがルイスを論じた批評は6つあるが(注2),いずれの批評も作家の名声が確立した後に書かれたため,50年代のグリーンパーグが,まだ無名だったルイスのどこに注目して,どう評価するに至ったのかを明らかにして62年に49歳で死去する。ルイスの作品は,抽象表現主義的作品を除き,絵の具をカン-44-
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