鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
554/763

2.パターンないしはモデルの縮小拡大がなされた。3.下書きデッサン用透き写てあった大きな街道Steenwechに沿って住んでいたことがわかる。街道は人の往来も多く,何よりもヨーロッパの広い範囲で、商取り引きをする商人たちも行き来したにちがいない。また,この街道は,作品を船に積んでアントウェルペンへ運ぶブリユツセルの運河に直接通ずる大通りでもあった。これら街道にアトリエを構えることの出来た画家は恵まれた画家であったに違いない。画家の住所一覧に名前のない画家がパンツのスタルを借りていることから,ショウウインドウのない画家は絵画マーケットを当てにしていた様子が窺える。4 結語以上見てきた2側面を考慮すると,15世紀末のロヒール様式の聖母子像は,ロヒールの作品の偉大さ,その名声が広く知られていたということの他に,絵画マーケットやアトリエでの既製品ないしは半既製品の陳列によって人々の目に触れる機会が多かったという側面も与って,広く流布されたと言えるのではないだろうか。15世紀の絵画については,従来,絵画販売の様態を様式の流行の一契機として見てみるという視点が希薄で,具体的にこのような契機と制作方法とを結び付けてみる考察がなされずにきた。本稿では先ず,群小画家たちの作品の分析により,これらの作品の下書きデッサンを簡便に行なう透き写し紙のようなパターンがあった可能性が大きいという結論を導きだした。その型紙はロヒールのものそのものばかりではなく,ロヒールタイプの聖母子像をアトリエで型紙にし常備していたと思われる。そして次のような使用法でヴアリエイションがなされた。1.背景,衣,手の位置,聖母と幼児の持ち物を変える。し紙を裏返して使い,左右逆の構図を作った。4.部分的に取ったデッサンを組み合わせて翻案している。しかも,ブリュッセルとブルージ、ユの異なる二つの傾向が見られることから,街の画家組合に属した画家たちの共通の型紙が存在した,ないしは,組合員の聞を型紙を回して使ったことも可能であったろうと思われる。今回の作品分析によるこの2系統のタイプの認識から,ブリュッセルの画家でありながらブルージュ系統の作品を制作した二つの街にまたがって制作販売した可能性を感じさせる群小画家の存在が浮かび、上がってきた。以上,15世紀末ロヒール様式を流布し支えた2側面,絵画販売の様態と大量生産の一543-

元のページ  ../index.html#554

このブックを見る