注絵画制作方式を具体的に見た。そして,このように幾つかの点で具体的な新たな知見を得た。(1) 1920 30年代に,主に,M.J. Friedl加derにより様式上の特徴をもって括られた作品群の基準作から命名された。Fri巴dlanderM. J. , Early Netherlandish Painting II (2) Dirk De Vos, Da Madonna引1-Kindtypologie 同Rogiervan der Weyden en enkele (3) J. Dijkstra, Origineel en Kopie, Een onderzaek naar de navolging van de Meester の論文の内容については,捲川女史の論文(『美学』175)の注側p.10に簡潔なまとめカfある。(4) 峰川順子「ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの半身の祈念肖像画二連板について」『美学J175, 1993年,1 -11頁。(5) 向上,6頁で峰川女史もこの点を指摘している。彼女は,既にある聖母子像を注文者が選択し,後で祈念者の肖像を付けたと思われる作例から,制作過程がマスプロ化し,レディ・メイドの作品が美術市場に登場していたのだろうと述べ,このような方式はロヒールの工房での慣行を踏襲した側面があったのだろうと推測する。そして,絵画制作の過程のマスプロ化への道が聞かれた点に,15世紀後半のネーデルラントでロヒール様式が支配的となった理由の一つが求められようと述べている。今日まで,ほとんどの研究者たちは,この点に関しては数行言及しているのみである。本稿は聖母子像の形態の比較により,具体的な例を数多く提示して上記の指摘を裏付けようという意図を持つ。(6) 参考文献に挙げたLynnとPerierは16世紀の彫刻祭壇画の制作過程を調べることで,画家と彫刻家の分業,また,彫刻家,画家同志での分業体制を指摘している。において盛んに行なわれていた。また,JeanWilsonとAinsworthは16世紀ブルージユのアトリエのパターンを使った絵画制作について述べている。特に,ヘラルト・(1967),百(1969),VI(l) (1971), XII, (1975), Leiden/Bruxelles. minder gekende Flemelleske voorlopers, in Jahrbuch der Berliner Museum, XIII, Berlin, 1971, pp. 60-161. van Flemalle en Rogier van der Weyden, Ph.D. diss, Univ., Amsterdam, 1990.こ16世紀にはレディ・メイドのパーツの組立による大量生産方式は彫刻祭壇画制作544
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