(7) オリジナルはロヒール作とされているフィリップ善良公の肖像画は,無帽のもの(8) 聖女ウルスラ伝の画家の作品(アントウェルベンの王立美術館に所蔵されているdes Miracles d巴M巴lbourne,in Annales d’Histoire de !'Art et d’Archeologie, vol. , (9) 1444年のブルージュの画家組合の規約によると,画家は市中のーヶ所以上の場所(cf. Jean C. Wilson, Marketing paintings in late medieval Flanders and Brabant, (10) M. Sonks, Les primit約Flamands,Des sins du XV e siecle, groupe van der Weyden (11) Dan Ewing, Marketing Art in Antwerp, 1460 1560 : Our Lady’s Pand, in The Art ダフィットの絵画についてこのような事実が明らかにされている。(cf.参考文献)と帽子を被せたものなどのコピーが4点知られている。これらの絵画の赤外線写真には,顔の輪郭線に黒い破根上の点が見えるものがある。下書きデッサンを穴を空けた透き写し紙を使ってしたものと見られる。二連画)に「1486Jという年記のあるものが存在することから,この画家の活動期が15世紀とされる。聖女ルチア伝の画家の作品には,しばしばブルージュのノートルダム教会の塔と市庁舎の塔が描き込まれている。15世紀末に市庁舎の塔が建設中だったことから,姿を変えて描かれた塔をもってこれらの絵画の制作年代決定の手がかりとされる。また,この画家の作品が1489年にブルージュのノートルダム教会の聖女カタリナ・聖女パルパラの礼拝堂の祭壇上にあったという文書資料も残っている。ブリュッセルのマグダラのマリア伝の画家と刺繍の葉の画家は,ブリユツセルのアドルフ・ドゥ・クレーヴに注文を受けたとされる『メルボルンの祭壇画Jの制作に関わっている。この年代決定は注文が15世紀末の政変を背景になされたと見られるので148889年とされる(cf.Yoko Hiraoka, Le Triptyque XIX, pp. 95-108. )。以上のように,本稿で扱うそれぞれの画家が15世紀末に活動していたという根拠が幾つかの論文で示されている。で絵を売ることが禁じられており,市中で売るために街周辺や街の境界外で作品を買ってはならないとされている。また仲買い人は画家組合の長老や運営委員に査定されたものしか売ることができないとされていた。これらの規約は組合のメンバーを余所の競争相手から守るため,境界外で制作された作品を市中に持ち込むことを禁じたものであった。1990. in Artiste, Artisans et Production Artistiqueαu Moyen Age, p. 621.) (1969), Bruxelles. pp. 29 33. 545
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