いない。さらに,50年代のグリーンパーグの批評自体,フォーマリズムに限定されない側面を持つと考えられる以上(注3),ルイスの絵画もまた,フォーマリズムだけに帰すべきものではないと思われる。この論文では,まず,50年代のグリーンパーグの批評を再解釈するための論点を提示し,それがいかにフォーマリズムに限定されない側面を持っかを指摘する。そして,ルイスの絵画もまた,フォーマリズムだけでは括れない側面を持つことを論じる。論文の後半では,ルイスとグリーンパーグの聞に交わされた書簡を分析する。この分析を通して,グリーンパーグの批評とルイスの絵画が50年代に共有した問題関心を明らかにしたい。それは50年代アメリカ美術を枠付け直す際に有効な視点となるだろう。グリーンパーグの美術批評はどのように再解釈できるだろうか。まず彼が提唱したフォーマリズムを概観しておこう。フォーマリズムとは,作品の形式的特徴を分析する批評である。グリーンパーグにおいてそれは,作品体験の場で意識が作品に集中するよう鑑賞者に求め,自分の身体に意識が向かないように仕向けるものである(注4)。その実現のために,フォーマリズム批評は,作品体験における視覚の役割を重視し(注5),鑑賞時間は短くてもよいと主張する(注6)。従って,それらに合致する作品,つまり,視覚的・瞬間的に把握しやすい作品に評価が偏るきらいがあるとされる(注7)。グリーンパーグの批評でフォーマリズムが確立されたのは60年頃である。その典型は,ドリップ絵画の持つ視覚的特性を高く評価した61年のポロック論(注8)である。しかしドリップ絵画が発表された40年代末の時点では,グリーンパーグのフォーマリズムは成立していなかった。当時の展覧会評ではどれでも,グリーンパーグは「物質的多様性」という全く別の観点からポロックを高く評価していたのだ。48年の展評では「表面のテクスチャーと触覚的な諸性質への一層の集中jによって「均一でオール・オーヴァーなデザインから生じる単調さという危険をポロックは相殺したJ(注9)と書く。グリーンパーグはドリッビングを,画面にテクスチャーを与えてその多様性を喚起させるものと考えていた。詳述は避けるが,60年以前のグリーンパーグの批評を検討すれば,素材の物質性に対する関心が強いことが分かる(注10)。鑑賞時間の短さに関しても同様のことが言える。このいわゆる「瞬間性」の議論はマイケル・フリードが普及させたものだ。フリードはグリーンパーグに着想を得ていると言うが(注11),実際は,グリーンパーグの議論の一部のみを引用することによっ-45-
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