鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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て議論の微妙さを消去してしまう。フリードが『マネのモダニズム』で「瞬間性jの概念の起源としてグリーンパーグの批評を引用する時,無視されてしまった批評の後半部には次のように書いてある。「しかしながら,絵や彫刻作品が強いるこの「即座性(at-onceness)」は単一のものでもないし,孤立したものでもない。各々は「即座性」のまま,即ちただそれだけにおいて一瞬間のままであるけれど,それは,諸瞬間の連続において反復され得る。陶冶された目にとって,絵は,口が一つの語を反復するように,その瞬間的な単一性を反復する(注12)。j絵の良さは一瞬で分かるが,それだけでは終わらない。その一瞬を同語反復のように繰り返すほかない体験をグリーンパーグは論じていた。それにも関わらず,いつの聞にかグリーンパーグは「瞬間性jの主唱者のように扱われてしまう(注13)。60年以前のグリーンパーグの批評には,「視覚性jと「瞬間性jを逸脱する微妙な作品体験に関する上記のような記述が散見される。なるほど,グリーンパーグの議論が60年前後で大きく異なる点は指摘されてきた(注14)。それらの議論の意義を認めつつも,次の二つの問題を提起したい。第一に,そこでは後期グリーンパーグに対する批判に主な関心が向けられたため,60年以前のグリーンパーグの批評は,単なる前段階と見なされ,本格的な分析の対象にならなかった。しかし,まだ無名だ、ったポロックやルイスを評価したこの時期のグリーンパーグの批評は,60年以後の批評以上に重要ではないか。第二に,60年以前のグリーンパーグの主張は,その後フォーマリズム批判の中で出てきた議論と重なるところはないのか。グリーンパーグの物質的多様性や反復的体験の議論は,フォーマリズム批判が強調する「物質性」と「時間性」の議論とどう関係するのか。全く同じではないにせよ,関係を検討しないのも妥当性を欠くだろう。ここでは,ルイスと出会った頃グリーンパーグのフォーマリズム批評が確立していなかったことを指摘するにとどめ,次に,ルイスの特徴と目されている「視覚性」がいかに事後的に付与されてきたのかを,ルイスのある絵画を取り上げて,考えてみよう。「視覚性」はルイスの絵画の主要な特徴とされる。ルイスをポロックの絵画の壊乱的な側面を昇華させた画家と論じるロザリンド・クラウスによれば,ルイスは,絵の具を流した方向とは逆に絵を立てることによって,イメージを垂直化し,素材の物質性から目を逸らせ,絵画を専ら視覚的なものに限定してしまった画家とされる(注15)。確かにヴェール・シリーズはそう見えなくもない。下部でつなぎ止められたイメー46

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