鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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⑮ 千手観音図像の調査研究千手観音本体の像容,殊に①頂上面や脇面の問題~腎数と持物・印相,の各点につ研究者:四天王寺国際仏教大学教授南谷恵敬はじめに千手観音は,7世紀以降,多くの経典が漢訳されると同時にその功徳の大きさから広く信仰を集めるようになり,彫像や仏画にあらわされた。ただ,その像容は,種々の経典の説くところが多様なためか一定した基準がないように思われる。今回は,多くの千手観音像のうち,中国のものや彫像例については別の機会にゆずり,日本の絵画遺品に限って,その図像の根拠を,経典・儀軌・図像などにさぐり千手観音像造像の背景をさぐってみようと思う。既に著名な千手観音像については個別に種々論議されているが,ここではそれらを整理し,特に経軌との異同を詳しく見てみたい。日本の千手観音画像は,遺品数としては決して多いものではなく,また,個々に特殊な様相をみせ,まとめて分類整理することは乱暴な作業といえるかもしれない。その方法としては,画像には千手観音の他いろいろな要素を持つものがあるが,まず,いて関係経軌と照合し,分類する。次に春属の問題,殊に二十八部衆の尊名比定とその像容を明らかにする。最後に周辺景の図様についてその根拠と諸遺品での異同を考察する。その前に,千手観音の像容について記述した経典を記しておく。成立の古い順に列挙すれば,①『千眼千骨観世音菩薩陀羅尼神呪経.I(『千菅経Jと略称され,唐の智通の訳。貞観年間(627〜650)の漢訳),②『千手千眼観自在菩薩広大円満無擬大悲心陀羅尼経』(『千手経Jと略称され伽党達摩の訳で顕慶年間(650〜661)の漢訳),③『千手千眼観世音菩薩姥陀羅尼身経.I(『姥陀羅尼身経Jと略称。菩提流志の訳),④『千手千眼観世音菩薩大悲心陀羅尼』(『大悲心陀羅尼Jと略称。不空の訳で8世紀中頃),⑤『千光眼観自在菩薩秘密経』(『千光眼経Jと略称。三味蘇縛羅の訳。唐末),⑥『摂無擬大悲心陀羅尼経計一法中出無量南方満願補陀落海会五部諸尊等弘誓力方位及威儀形色執持三摩耶標械受茶羅儀軌j(『摂無擬経』と略称。不空の訳。8世紀中頃)などである(これら経典は『大正新修大蔵経』第20巻密教部三に所収されている)。他にも千手観音についての経典は多数あるが,像容について記すのは上記経典に限ってよい571

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