2.管数と持物これから単独像へとなったことは知られるが,十一面でありながら上記脇面を有する遺品がある。四天王寺本と図像ながら別尊雑記中の唐本千手観音像,これと同じ図様の妙法院千手観音像胎内摺仏千手観音像である。彫刻においても,正法寺像,善勝寺像などがある。これら諸遺品は,胎蔵界蔓茶羅中の千手観音と考えるよりは,別尊雑記の記事にあるように唐本図像に基づくものと解したほうが良いように思われる。この点については持物や二十八部衆など他の図様も勘案しなければならないが,一応このように解しておきたい。②の場合は上記『千光眼観自在菩薩秘密経』の十一面が根拠であろうが,それよりも奈良時代の先行例である葛井寺像,唐招提寺像などを踏襲したのかもしれない。これらは千手観音に関連した多くの経典が八世紀には書写され,千手観音信仰が隆盛したことを思えば納得のいくところであり,後世の像容に大きな影響をあたえたものと解される。このことは他の諸観音の例にもあてはまることであり,経典や儀軌よりも先行例に図像の根拠がもとめられたのである。画像例では図像もあわせて,表にあるとおり,耕三寺のような千管像,千管観音と称される二管の図像などは例外として,四十二管像(光背のように千手を描く例もあるが,その場合も四十二の大手が中心である)が圧倒的に多い。彫像においても平安時代以降は四十二管像が一般的である。この四十二曹の根拠は,『千手千眼観自在菩薩広大円満無擬大悲心陀羅尼経』(『千手経』)をはじめとして『千手千眼観自在菩薩大悲心陀羅尼』(『大悲心陀羅尼』), r千光眼観自在菩薩秘密経J(『千光眼経』),『摂無擬経』などの経典に四十二菅各手の持物について詳しく記されており,その記述にあることはいうまでもない。また,面数で取り上げた胎蔵界憂茶羅中の千手観音も,大手四十二菅の様相から,本尊画像としての千手観音像の根拠とはなろう。ここで,問題となるのはその持物・印相である。まず,経典・儀軌からみることにしよう(表1参照)。これら4つの経典において,四十二骨の持物・印相はほぼ共通しているが異なる点もありこれが千手観音図像に影響を及ぼしていることが確認できる。訳時の最も古い『千手経』を基準に各経典の異同をみてみよう。『大悲心陀羅尼Jでは,『千手経Jにない「甘露手jが加わり,持物・印相の種数は41となっている。これは,『千手経』の場合明らかに二手によると思われる「合掌手」のほかに二手にて執る器物があったこと一573
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