ではない。風神・雷神はいずれの諸本でも千手観音頭上左右に描かれるが,これを二十八部衆に含むものが多い。また,妙法院の平安時代の摺仏は,千手観音本体も頂上化仏を頂上でささげる独特の図様であったが,二十八部衆の表現においても観音や二十八部衆のまえに弓・矢や万などをささげてひざまずく春属を描き他に例のない図像がとられている。これなどは,中国でも唐末・宋代の新しい図像ではないかと考える。『千手経Jや『造次第法儀軌J,『二十八部衆並十二神将jの記載との関連を考えると,尊名において三十三間堂諸尊,細見美本とかなり差異が大きく,これをもって画像の二十八部衆と対応させるには困難がある。図像集などでは上記の経軌に基づいて記述する例が多いが,実作例においてはこれらに依拠することはなかったのではないだろうか。さらに,諸本でそれぞれ像容が異なることからすると,制作の際に取捨選択された可能性が強く,様々の点で関連の多い四天王寺本と別尊雑記唐本図像でも,二十八部衆においては必ずしもすべてが一致するわけではない。以上のように,三十八部衆の図像・表現は各遺品で、バラエティーに富み,『造次第法儀軌』のような儀軌があるもののそれに基づいて造られることはなかったと考えられる。ill.周辺景について千手観音画像の中で,観音の足元や周囲に山や海などの景観を描くものがある。千手観音関係の経典では,千手観音の居所を詳述するものはなく,ただ,「補陀落山観自在宮」というような書き方が多い。では,千手観音あるいは観音の居所について依拠するところは何かといえば,さらに古い経典に散見される。別表に示したとおり,新訳の『華厳経』入法界品の観自在菩薩の居所「補担洛迦」の記述,『不空絹索神変真言経j出世解脱壇像品二十六の記述が挙げられる。これによれば観音の居所補陀落山は,①海中に山があり,②聖賢が多くおり,③たくさんの宝に満ち,④極めて清浄で,⑤花や果物,樹木に満ち,⑥泉や川や池,沼がある,といった情景が示される。今,諸本の周辺景を観察すれば,奈良博本①,四天王寺本,奈良博本②,大清寺本,図像の東京博本などいずれも観音足元は波の打ち寄せる水辺となり,観音の後ろは木々に覆われた山景となっている。千手観音画像にかぎらず,観音画像ではこのような補陀落山の情景を描くものが多く,奈良博本の如意輪観音像〔図8〕や十一面観音像にその例がある。また,そこに-577-
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