鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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サーリ(c.1386-1439)-592-⑯15世紀のイタリア・ルネサンス建築における光崇拝についてー一考察その一:カペラ・ニッコリーナにおける太陽のエンブレム—研究者:コロンビア大学大学院美術史考古学研究所博士課程金15世紀イタリアの人文主義者たちは光についての盛んな議論を復活させ,光を神の類比として概念化したり,さらには光によって神を直接経験できると唱えた。こうした現象は主に二つの歴史的な流れに刺激された結果として起きたものである。まず第ーに,プロティノス(c.205-70)やスド・デイオニシウス(c.500)などによるラテン語で書かれた写本が広く彼等の間で流通し始めたことと,第二に,古代と中世の時期に書かれたキリスト教的なものと世俗的内容のものの両方を携えてギリシャの学者たちが移民してきたことである。特に1438年から1445年まで開かれたフェラーラ・フィレンツェ公会議によって後者の動きに一層拍車がかかった。この公会議にはなかでも人文主義者であるフィレンツェのカマルドリ会修道院長アンブロージョ・トラヴェルベッサリオン(1403-72)などが参加していた。この公会議において,それまで西欧世界ではほとんど知られていなかった多くのギリシャの神学者たちの著作が以前より一層手に届くものとなり;当時の人文主義者たちに大きな衝撃を与えた。それらの中にはとりわけ注目すべき著者としてニッサの聖グレゴリウス(330-395),ゴリウス(c.1296-1359)それ自体意味深い。なぜなら,その深みの中にこそ神の世界の神秘があらゆる知識や理解を越えて存在しているからである。彼はまた,神の光は,神の受肉(注l)と聖母マリアの無原罪の御宿り(注2)という出来事を通じて顕示されていると主張する。告解者聖マクシムスは,歴史の目的は神の子の受肉にあると主張し,また人生の終焉を迎える際に顔と顔を合わせるように直に神を仰ぎ見ることができるようになるために,より神聖なもの,より精神的なものを希求し続けていく人間の努力に大きな価値を置く。パラマスの聖グレゴリウスの神学は特に光の点で特徴的である。彼によれば,現世において神を直接体験することは可能である。そしてそれは,自分自身が,太陽のように「際限,奥行き,高さ,そして水平方向Jにおいて終りがなく「宇宙よりもや古代文献の写本を探し求めたギリシャの枢機卿ヨハンネス・告解者聖マクシムス(c.580-662),そしてパラマスの聖グレ等が含まれていた。ニッサの聖グレゴリウスによれば,開は

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