Fhu ハ同Uここにおいてもあるヒエラルキーが生み出されている。各聖人は教会という組織での生前の身分に応じて礼拝堂の入り口から祭壇に向けて,そして壁の下から上に向けて整然と配されているのである。一般の聖職者であったヒエロニムスとトマス・アクイナスは入り口に近い壁の下方に,司教であったアウグステイヌスとアンプロシウスがその上方に,それぞれコンスタンテイノープルとアレクサンドリアの大司教であったクリソストムのヨハンネスとアタナシウスが祭壇側の壁の下方に,そしてその上方に位置するのは教皇であった大グレゴリウスと大レオといった具合いに,ここには教会の組織としての厳格なヒエラルキーが表明されている(注10)。こうしたフレスコの主題がどれほど政治的に重要な意味を含んで、いたかは歴史的に教皇の私的礼拝堂がどの様に使われてきたかを考慮することによってより深く理解できる。残念ながら,ニコラウス五世と同時代に書かれた文献でこの礼拝堂での儀式について記録したものは残っていないが,少なくとも9世紀以来ラテラーノ宮殿での教皇の私的祈りの場所であるサンクタ・サンクトールム礼拝堂(その守護聖人は他でもない聖ラウレンテイウス)は様々な公的儀式のために使われたこと(注11)'15世紀の初めには司教の叙任式が教皇の私的礼拝堂で行われたこと(注12),そして16世紀初期には教皇ユリウス二世とレオ十世による様々な上位聖職者や騎士等の叙任式がカベラ・ニッコリーナで行われたことが記録されていることから(注13),ニコラウス五世もこの伝統の上で自分の礼拝堂を規模は小さく私的だが重要な儀式のために用いたであろうと推定できる。さらに,ニコラウス五世は教皇の絶対性を誇示するため,儀式に用いられる祭具や祭服のために資金を惜しみなく使ったことが知られている(注14)。こうした背景を念頭に再びニコラウス五世の太陽のエンプレムを考察してみよう。ニコラウス五世の教皇庁ではまさに光と神の光を象徴する太陽に関する主題が多く取り扱われ,そこでは上記のプロテイノスやスド・デイオニシウスの著作,そしてニッサの聖グレゴリウス,告解者聖マクシムス,パラマスの聖グレゴリウスなどの光の神学に加えて,ゲミストス・プレトンの「太陽賛歌」ゃ古代ローマ皇帝ユリアヌスによる太陽の神と自然とを結ぶ役割を説いた「第四演説」等が盛んに読まれていた。ニコラウスに仕えていたアルベルテイはキケロの「スキピオの夢jやマクロピウスの著作
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