に表われる太陽崇拝の複雑な神秘思想、に影響され,それは1453年から着手される,そしてプレトンの遺体もそこに安置されることになるリミニのテンピオ・マラテステイアーノのデザインに表明されている(注15)。上述の「光の父の贈り物Jを1446年に著したクザーヌスは,そこで使徒ヤコブの手紙(1 17)を受けて神は諸々の光の父であると説き(注16),他の著作では世界には様々な宗教があるが,例えば太陽神アポロンを含む異教の神々はキリスト教の神の神性の同質異像体であると説いた(注17)。教皇自身については,彼が太陽の光がそこから差し込むオクルス窓を特に好んで、いたことは既に述べた。ニコラウスが神学上どの様な考えを持っていたかを示す彼自身によって書かれたものは何も残されていない(注18)。しかし,同教皇の太陽へのこの様な特別な態度は,彼の最も親しい側近の一人であったアラスの司教ジャン・ジョッフロイがニコラウスの死後(1455年3月24日)九日日に枢機卿団を前にして読んだ悼辞に極めて明白に表明されている(注19)。そこでジョッフロイは,ニコラウスを太陽のイメージと結び付けて神格化し,聖霊の働きによって同教皇はまさに太陽の光と変わらず,あらゆる階層の全ての人々をくまなく照らしていたと述べる(注20)。彼はまたニコラウスの頻繁な激昂について触れ,様々な古典を引用しながら,それが神聖な熱を起源として持つ太陽の熱の現われであり,且つ古代の軍神マルスの性格と同質であり,この神の悲りのような天の稲妻のように激しい怒りのおかげで同教皇は異端や悪人たちを戒め,教会の威厳の回復を成し遂げたのだと主張する(注21)。この様に死後九日目にして読まれたこの悼辞は通常は否定的に捉えられる「怒りjを見事に肯定して見せているが,ここに表現されたニコラウスの「太陽のような」性格はかなり真実に近いであろうと推測される。新約聖書の中でキリストは度々光として記述される。ヨハネ書第1章9節では聖ヨハネはキリストを全ての人を照らす光と説き,同書第8章12節においては,キリストは自分自身をこの世を照らす光であると述べている。また,マタイ書第17章2節のキリストの変容の場面ではキリストの顔は太陽のように輝き,彼の衣は光のように白くなったと記されている。このようにキリストを象徴的に光として捉えることはキリスト教神学の根幹の一部であるが,キリストのこの世の代理として統治する教皇を,ジ597
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