鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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Qに1UU テロ(初代教皇)と聖人である教皇シクストゥス二世(モデルはニコラウス五世)であり,このサイクルを縁取る,生前の教会での位階別に厳然と並べられた八人の教会博士たちの点からも,このフレスコ・サイクルが組織としての教会のヒエラルキーとキリストの代理として聖ペテロの鍵を引き継ぐ教皇の権威の絶対性を誇示したものであることがわかる。この主題は,当時この礼拝堂での儀式に参加した教会の高位聖職者たちゃ政治を司る王侯貴族たちには容易に理解できたであろう。一方目を床に転じれば,聖職者でない神学を知らない人々にとってでさえ,ニコラウス五世の名と共に横たわっている燃える太陽が神を表すことは,シエナのベルナルデイーノの活動のおかげで容易に理解できたであろうし,同教皇の人文主義的教皇庁にいて且つ光の神学を極めた高位聖職者たちにとってはそこに教皇の絶対性を読むことは必然だったであろう。ここで強調されなければならないことは,神を表現し,崇拝の対象として高く掲げられるべき,つまり壁の上方や天井に配置されるべき燃える太陽のエンプレムが,この教皇の礼拝堂では床に刻まれているという点である。しかしこれは上記の様々な論点から納得のいくことである。というのも,ここでは神の光は必ずしも天から降りてくる必要はない。なぜならキリストの代理として,今や光は儀式で太陽のエンプレムの上に立つ教皇自身から発せられるのである。教会改革を唱える15世紀の人文主義者たちにとって,改革とはすなわち皇帝コンスタンテイヌス以降の4-5世紀,つまり古代ローマがキリスト教を奉ずる帝国として繁栄を極め,多くの教父たちが活躍した時代のキリスト教の姿勢にもう一度戻ろうとすることを意味する。当時多く使われていた中世以来の幾何学的コスマテスク仕上げではなくアル・アンティーカ(古代)様式でこの床を飾っていることには,古代へ立ち返ろうとする教皇の改革への意志が表現されていると言える。また上述のクザーヌスがその光の神学において多大なる影響を受けた中世の神学者ロパート・グローステストによれば,色は純粋な透明体における物体化された光であり,その中で最も明るくて多い光が白色となる(注26)。従ってカベラ・ニッコリーナにおいては,無限に明るい神の光(燃える太陽)を表現するのには大理石の白が最も適していることになる(注27)。このことから,この礼拝堂の床に意図的にコスマテスクのようなポリクロミーが用いられていないことの意味が理解できる。

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