@北方初期版画におけるボリク口ミーの研究研究者:金沢美術工芸大学美術工芸学部助教授保井亜弓版画におけるポリクロミーとは,すなわち多色版画を扱うことになる。多色版画には,多色刷り版画の他,手彩色,紙やインクで色彩を与える方法なども含まれる。概して多色版画が論じられるときは,はじめに手彩色と多色制り版画を明確に分けるのが常である。版画の技法的な側面を解説するためにはこの方法は有効だろう。しかし,北方初期版画における多様な色彩の効果,あるいは多色化の欲求という現象を考えるには,双方を視野に入れることが必要であると思われる。15,16世紀の多色版画については,初期の彩色木版画や一部の多色刷り版画を除いては展覧会や図録においてもほとんど目にする機会はない。こうした現状の問題点を明らかにしつつ,いくつかの作例を検討する。高度な多色刷り木版画である浮世絵の伝統を持つ日本とは異なって,西洋においては,版画における色彩の過小評価,あるいはモノクロミーの優位があるように思われる。モノクロミーの優位は,エラスムスが『ギリシア語とラテン語の正しい発音についてjにおいてデューラーをアペレスに比した箇所によくあらわれている。デューラーが画家よりも版画家としてすぐれていることを示すとされるこの有名な一節において,エラスムスは,アペレスが色彩の助けを借りて達成したものを,デューラーは黒線のみであらわすことができたことを賞賛し,「もし色を塗りつけたならば,作品を損なうことになるだろう」と述べる(注1)。デューラーが,はじめて木版画を自立した線の芸術として意識し,色彩を廃したというのは通説となっている。西洋では,もっとも早く14世紀末頃にあらわれた木版画は,輪郭線を主体とした単純な描線で描かれ,概ね彩色されていた。一方これに遅れて1430年頃から始まるエングレーヴイング銅版画は,ハッチングの線描による陰影表現を発展させていく。15世紀末に登場したデューラーは,木版画において,銅版画と同じようなモデリング表現を達成し,木版画をすでに芸術とみなされていた銅版画に並ぶものに高めたとされる。版画に色彩を与えるのは,絵画を模倣するという目的のためであると考えるならば,モノクロミーの表現こそが版画の独自性を示すものだといえよう。色彩を余計なものとみなすエラスムスの言説は,線の芸術としての版画を支持するものとみることができる(注2)。こうし606
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