(a) 作者自身による彩色16世紀初期における単色および彩色版画J(1996)と題する論文において,15世紀の初た把握においては,版画の彩色は,版画としての独立した芸術表現が確立される以前の,絵画の代用として機能した木版画と結びつけられる。実際デューラーは,自らの版画に決して色彩を取り入れなかった。しかしよく知られているように,同じ時代に一方では「技法上では16世紀初期のもっとも重要な発明」(注3)とされる多色刷り技法,キアロスクーロ木版画があらわれている。アーサー・ハインドは,その初期木版画についての基礎的な研究書において,多色刷り木版画の発展を次のような段階に分けて論じる(注4)。第一段階として彩飾画家の手彩色,第二段階としてステンシル,そして第三段階として多版多色刷りからキアロスクーロ木版画。こうした発展史的な記述で見落とされがちなのは,16世紀にはこれらがともに共存していたという事実であろう。実際15,16世紀の多くの版画がきわめて多様に多色化されていた。さらに,16世紀後半から17世紀にかけて,木版画や銅版画がきわめて精織に彩色されるという興味深い現象がみられることも注目される。この現象はデューラー・ルネサンスの一つのあらわれと考えられているが,デューラーの版画作品も作者の意志に反して多色化されていく傾向に,単に絵画化としてだけでなく,版画の色彩に対する強い欲求を認めることができるだろう。しかし,こうした状況はこれまであまり取り上げられてこなかった。とくに版画の彩色は,線の芸術としての版画の自立性を強調する見方において,常に付加的,二次的なものとみなされてきたのだと思われる(注5)。ょうやく近年になって版画の色彩にも注目した研究があらわれ始めるようになった。デヴイツト・ランダウとピーター・パーシャルによる『ルネサンス版画』(1994)においては,さまざまなコンテクストにおいて多色版画が触れられている(注6)。また,パルパラ・ヴェルツェルは,「絵画メディアの複数性について:期の版画コレクターが自ら施した彩色,そして皇帝マクシミリアンに関連して制作された〈トイアダンク〉の豪華な彩色やクラナハとブルクマイアの金銀刷りの版画をとりあげ,彩色の機能を論じており興味深い(注7)。とはいえ,北方初期版画のポリクロミーの多様な側面についてはまだ十分に明らかにされているとはいえない。以下はとくに版画の彩色に注目して,いくつかの例を見ることにする。版画の彩色は,専門の絵師や彩飾画家によって行われるのが常であったが,きわめ-607-
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