1508年の年記とHBのモノグラムがみえる。この版木は,後に切断され年記とモノグラ1490年代に活躍したマイア・フォン・ランツブートは多色版画を試みた先駆者としてて珍しい例として,おそらく画家(版画家)が彩色したと考えられる場合がある。そのひとつは,オックスフォードのアシュモリアン美術館に所蔵される,ハンス・ブルクマイアによる〈聖母子〉の第一ステートである(注8)〔図l〕。上部を枠で切られたアーチの窓枠に聖母子が半身の姿をあらわしている。画面左上のアーチ内側にはムが削られて,完全なアーチを伴う縦長の構図へと改変された(注9)〔図2〕。ウニカであるこの第一ステートには不透明色で他に例のない彩色が施されている。茶色の地色に,聖母やキリストの肌とローヴに白でハイライト,同様のタッチで衣には水色,さらに頭布は黄緑が置かれている。ロザリオには赤や白を用い,背景は青く塗り込められている。光輪のハイライトは酸化のため黒変している。色地の上で,ハイライトだけでなく色彩的効果を示す先例はいくつか認められる。知られる。その作品は多色刷りではなく,着色された紙を用いてしばしばハイライトを手彩色で入れたもので,キアロスクーロ素描と同様の効果を版画に取り入れたものといえる。フランクフルトのシュテーデル美術館所蔵の〈サムソンとデリラ〉(L. 20) 〔図3〕では,緑に着色された紙に白や黄のハイライトが施され,さらに遠景の空は青く塗られ,朝焼けをあらわすためか,地平線近くにオレンジが入れられている。またキアロスクーロ素描でも,ハンス・パルドゥンクが1502年頃に描いたごく初期の自画像にピンクが用いられ,肌の微妙な表現を感じさせる。l帽子の部分は白が用いられているが,質感が見事にあらわされている(注10)〔図4〕。これらの例では,色彩は概してハッチングで控えめに入れられているのに対して,ブルクマイアの作品では,色彩を用いた陰影表現がハッチングと筆で大胆に行われており,これほど鮮やかな色彩的効果は珍しい。1508年にブルクマイアは,ポイティンガーの命を受けて金銀刷りの〈聖ゲオルク〉と〈マクシミリアン一世〉を制作し,その次にキアロスクーロ木版画がはじめて試みられることになる。この〈聖母子〉では多色が用いられているため,この彩色は,調子をあらわすキアロスクーロ木版画とは関連しないと考えられている。とはいえ,陰影表現には類似点が見られ,版画の新たな多色化への関心とみることもできるだろう。テイルマン・ファルクは,この作品が特別な祝祭のために用意された可能性を指摘している。いずれにせよきわめて実験的な作品だといえるだろう。もうひとつの例は,アルブレヒト・アルトドルファーによるエッチングの風景画で608
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