鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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のアンファーレッド・シリーズが余白をふんだんに使った作品であることを考慮すれば,このグリーンパーグの発言は,ストライフ0・シリーズもまた,当初は大画面のフォーマットで制作され,左右どちらかに広大な空白が広がっていたことを暗示させる。以上,54年と61年の手紙を検討してきた。54年の手紙が明らかにするのは,グリーンパーグが抽象表現主義的作品を実際言われているよりも早く見ていたこと,コレクターのために選定する程度には,一定の評価を与えていたことである。従来考えられてきたのと違い,この時期のグリーンパーグはヴェール絵画だけを評価したわけで、はないことが分かつた。61年の手紙は,ストライフ0・シリーズが初めて他人に明かされる瞬間の記録になっていた。そこでは,作品はどの方向から見るのか,どのようにカンヴァスを裁断するのか,ということすらまだ決まっていなかった。シリーズを一定期間続けることを望む買い手の側の思惑もそこには見え隠れしていた。作品の成立には,批評家や画廊主が大きく関与していることも確認できた。この手紙の分析を,論文の前半で展開したフォーマリズムの再解釈の中に位置づけてみよう。54年の手紙が明らかにするのは,後年に見るような「非実体化された,純粋に視覚的なものとしての色彩」(注32)を評価する観点から,グリーンパーグがルイスの絵画を見ていたとは言い難いという点だ。厚塗りの絵の具を用いた抽象表現主義的作品に対する評価は,この時期のグリーンパーグが,視覚性の議論をまだ確立していなかったことを傍証する。さらに,54年の時点での抽象表現主義的作品に対する肯定的な評価は,後の否定的な評価を考えると,グリーンパーグ自身が判断に時間をかけていたことを示している。これは,グリーンパーグがポロックのブラック・ポーリングに接した時にも示した遼巡だ(注33)。それまで良い作品を描いてきた画家に否定的な判定を下すことに,グリーンパーグは時間を要したようだ。これは,広い意味で,彼の美的判断が瞬間的なものではなかったことを示していると言えよう。61年の手紙はどうか。フォーマリズムが確立しつつあった時期に書かれたこの手紙は,グリーンパーグが作品を垂直的に捉え,その連作化に賛同している点で,フォーマリズムが立ち上がる瞬間を報告していると言えるだろう。以上,50年代のルイスとグリーンパーグがいかにフォーマリズムの枠組みだけでは捉えられないかを示してきた。この論文はそれを両者の手紙という直接的な手段でそれを確証する試みだ、った。残存する手紙はわずかゆえ十分な証拠が得られたとは言い難い。だが,50年代のグリーンパーグを素材の物質性と体験の反復性の視点から,ル52

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