⑩ 九州の肖像美術を読む研究者:福岡市美術館学芸員概要九州の肖像美術については,これまでに国の重要文化財等に指定される他,多くの調査目録ゃいくつかの展覧会,論文により紹介されているが,その全体像や大きなテーマによる集積はほとんど見られない。今回,研究の機会を得て,これまで行われなかったテーマ,指針をもとに調査を行い,九州の肖像の多様な側面の一部を垣間みることが出来ればと考えた。無論,単年度の調査研究によって,大きなテーマによるまとめが完結するわけではないが,結果的には,新たに発見された資料を含めて,九州の肖像美術の認識に新たな面を加えることがわずかなりとも出来たのではないかと考える。今回,調査研究対象としたのは,禅宗美術の中で,これまで調査の上で注目されなかったいくつかの宗派,諸派で,いわば抜け落ちていたと思われる調査対象である。それは宗派によって美術資料を多く所蔵していないのではないかとか,創建の時代が比較的新しい寺院のために古い資料を所蔵していない,といった単純な憶測で看過されてきたようだが,結果は「調査しなければわからない。jというように,案に相違して幸いにも多くの成果があったように思える。なお,「九州の」肖像美術とは,ここでは「九州所在のj肖像美術というのが,基本であるが,「九州に関わる」という意味も含んでいる。後者は無論,意味の上で九州、|に関わる資料であるが,逆に前者において,厳密には九州とは直接関係ない美術も含まれることがある。しかし,今回の調査では基本的には九州に現存する肖像美術を対象に調べ,意味の上での区分よりも地域の研究者でなければ見いだせない資料の開拓に努めたと言って良いかもしれない。1 臨済宗幻住派の肖像美術九州の禅宗文化は,よく知られるように栄西による「扶桑最初禅窟jと称する聖福寺の開創に始まり,東福寺の開山円爾の崇福寺・承天寺開創,さらに日本の純粋禅の推進者大応国師(南浦紹明)が長く太宰府に留まるというように,博多を中心とした地域が日本の臨済禅の翠明期に重要な役割を果たした。しかし,今日,そうした記録渡遺雄一-632-
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