鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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@ 口パート・スミッソンの芸術と思想研究者:愛知県立芸術大学専任講師小西信之本研究は,1960年代中頃から70年代初頭にかけて,米国において活躍したアースワーク・アーテイスト,ロパート・スミッソンの芸術と思想について考察する。1999年夏,研究者は,鹿島美術財団助成金を得て米国に赴き,ソルト・レイク市やラス・ヴェガスなどアースワークの点在する中西部に,3週間滞在した。その間,車を借りて,スミッソンの代表作である「スパイラル・ジェティJ(1970)をユタ州グレート・ソルト・レイクに訪ね,その水没した不在の湖面と対面してきた。またその近郊のグレート・ソルト砂漠にあるナンシー・ホルトの作品「サン・トンネル」,ラスベガス近郊の街オヴアートン東方のモルモン台地にある,マイケル・ハイザーの巨大な作品「ダ、ブル・ネガティヴ」も見,実際に体験してきた。また,実際には実現されなかったが,スミツソンが晩年に試みていた工業跡地の再利用のプロジェクトの1つの対象となった場所,ソルト・レイク市郊外の南西部にある世界最大といわれる露天採鉱,ピンガム銅山も訪れた(注l)。研究者はしかし,スミッソンをただ,70年代の「アースワーク」を代表する作家としてのみ関心を抱くのではない。彼は,彫刻,フィルム,多数の批評エッセイ,写真等を残しており,極めて多角的な発表活動を行っていた。そのアースワークも,自然との詩的な関係や,大地との肉体・身体的な関わりの痕跡といった,自然と芸術とのいくつかの明確な紐帯の回復といったことで成り立っているものでもない。とりわけその言語活動とフィルムにおいて縦横に発揮された,地質学・博物学,B級映画からSF小説,ロックや広告等のサブカルチャー,失われた大陸や古代文明,絶滅した恐竜への関心,ボルヘスやベケットといった文学的形象への広範な言及は,スミッソンの思考空間が迷宮のように豊かに入り組んでいることを物語っている。純粋主義を標梼したモダニズムとは根本的に異なった異種混交的土壌から,彼の思考,イメージは生み出されているのだ。90年代に入って,スペインとフランスで大掛かりな回顧展や,写真に焦点をあてた展覧会等が聞かれ,研究論文や書物が増え,著作集がより完備されて再版された。そして,少なからぬアーテイストが彼の活動をいわばリメークするようなかたちで制作し,「スミッソン・リヴァイヴァルjと呼ばれる現象が近年起きていることは,彼の活動がアースワークという過去のームーブメントの中に収まりきる-642-

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