ものではないことを如実に物語ってはいないだろうか(注2)。実際,1980年代から90年代にかけての変動期の後に,これらの現象が生じているため,そこには少なからぬ関係があると思われる。それは同時代においてもスミッソンが攻撃しつづけた,純粋主義の「マニエリズムjと化したモダニズムが限界をいよいよ露呈し,新たなアートの土壌を求める多数の雑多な試みが,少なくとも教条的な「純粋性」をまったく意に介することなく登場したときに,そのような領域侵犯の先駆者として,時代が改めて要請したかのようである。本稿は,彼の多様な活動のうち,主として,画家,彫刻家としての出発点から,35歳で他界する直前の,産業と結びついたアースワークまでの造形作品を概ね時代に沿いつったどりながら,彼の思考の迷宮への入り口の一端を示そうとするものである。1.初期の絵画1938年生まれのスミッソンが,1950年代初頭,故郷クリフトンの高校に通学しながら,アート・ステューデント・リーグに学び,ニューヨークのグリニツヂ・ヴィレッジのコーヒーハウスやシダー・パーに入り浸り,画家や詩人達と交わり,芸術家としての一歩を踏み出そうとしていた頃,ジャクソン・ポロックは既に抽象表現主義の旗手として輝き,ヴイレッジではケルアックやギンズ、パーグらのビート詩人達が時代の新たな空気を生み出しつつあった。1959年にアーテイスツ・ギャラリーで初の個展を行ったとき,彼は画家として出発した。それらの絵画は,抽象表現主義,特に,ポロックやニューマンやデュビュッフェの初期の絵画に見られるような,神話やバイオモルフイックな形態の影響を色濃くとどめていた。彼は一群の「抽象表現主義の実存主義的追従者でポスト・ビート詩人jの中の一人だった,とロパート・ホップスは書いている(注3)。しかし61年頃以降の絵画には,抽象表現主義の影響に次いで,文字やSFや大衆メディアに登場するポップなイメージなどが現れ,通俗的なものと有機的な絵画言語が津然一体となっている,というよりも,写真のコラージュ等が多用されて前者が後者を圧倒している。{It’sKing Kong) (1961-63)では映画のキング・コングが,また他のドローイングでは宇宙船や恐竜などが登場する。ドローイングのいくつかは,ウィリアム・ブレイクの超越論的神学世界を転倒させた通俗挿絵版のようにも見える。これらの絵画をホッブスは,「高次なものと低次なもの,天上のものと悪魔的なもの,t予|育詩と粗野なもの,過去と未643
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