鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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来を統合jするものだと書いている。スミッソンは,この頃の作品の多くを未完成の作品として破棄しており,実際これらの平面作品は,後の彫刻やアースワークのように首尾一貫した完成度を備えてはいない。しかし,そこに登場する通俗的な現代のイメージたちのあり方は,後の展開を予示しているとも言える。神話を過去の神話としてではなく,現代に滑りこませ,その特権的場所から引きずり下ろし,現代の特権性も透明化し,過去と現在を地続きにしてしまうスミッソンの時間の概念の原型を見ることができるだろう。それは恒久的なものは存在せず,あらゆるものは変化するという視点であり,彼の芸術の主要モチーフとなる「エントロピーjの概念の原型となるものではないだろうか。そこでは,高次なものと通俗なものは,前者から恒久性が剥奪されることによって,同じ次元に存在しようとするのだ。この後1962年まで,スミッソンは,ポップ・アートの影響を受けたと思われる一連の作品一一面分割されオブジェを組み込んだアセンブリー絵画一ーや,少年時以来の博物学や生物学への関心を反映させた,化学物質の標本を並べた作品等を制作した後,暫く発表を中止する。そしてこれらの神話的内容をもち「宗教的擬人観」に基づく絵画の制作を放棄するにいたる。スミッソンが彼の世界を十分に展開する上で,この「擬人観」は回避しなければならない障壁であった。というのも,それは根本的に人間中心主義的な有機的生命観に基づき,調和した恒久性を欲するのであり,先に述べたような時間の概念と相容れないものであったからである。そしてこの時期の最後に制作された,化学物質の標本を模した作品は,生命や非生命を含めた物質そのものを表現する上で,彼にとって初めて,そのような擬人観に頼らずに,ある手ごたえを感じた作品だったように思われる。2.彫刻家としての出発1964年に再び制作を始めたときスミッソンはもっぱら三次元の彫刻をつくり始め,同時に執筆活動も開始する。この時期,カール・アンドレ,ドナルド・ジャッド,ロパート・モリス等がミニマル・アートの作品を制作し始めており,スミッソンは彼らの作品の評論も書いている。それはミニマル・アートに関する一種のマニフェストのようにも見えるが,内容は当時の美術批評による解釈や,作家達の考えを補強するというよりは,それらをスミッソン自身の方に傾けて解釈するものであった。彼は非有機的な世界,無機物としての鉱物的形態,すなわち結晶的世界を彼らの作品のなか644

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