に見,それらを「熱力学の第二法則のアナロジー」と見なすのだ(注4)。こうして彼は,擬人的な表現手段から抜け出す。そこには,美学的には,ヴイルヘルム・ヴォリンガーが『抽象と感情移入Jゃ『ゴシック美術形式論Jにおいて定式化したような,有機的(古典的)世界に対する非有機的(ゴシック的/結晶的)世界の存在という含意があり(この点はジャッドも共有していた),またJ=G.バラードの小説『結晶世界Jのようなサイエンス・フィクションからくるイマジネーションの世界の広がりも強く働いていた。この時期「結晶」はスミッソンにとって,非有機的な空間を獲得するためのモデルであった。20世紀の彫刻は,モダニズムの歴史の中で,ロダン以降,ピカソや構成主義の手を経て,主として二次元的な視覚に基づいたコンストラクションへと変貌してきた。三次元空間は,絵画平面同様,分析され,知覚される物体へと再構成されてきた。絵画において徹底的に追求された視覚性が,デイヴイツド・スミスやアンソニー・カロの彫刻をも支配してきたと言ってよいだろう。しかしそれらは,20世紀における形態に対する純粋な視覚的感受性をすぐれて表すものであっても,少なくともスミッソンにとっては,例えばトニー・スミスの,次のような体験を包含するものではなかった。路に乗り入れる方法を教えてくれた。私は三人の学生を連れて,メドウズのある場所からニュー・プランズウイック市までドライヴをした。暗い夜で,灯も路肩標も白線もガードレールも何もなく,あるのはただ平地の風景の中を通って進んでいく暗い舗装道路だけだった。風景は遠くのいくつかの丘に枠付けられ,だが叢煙突や塔や煙霧や色光が点々と見えていた。このドライヴは啓示的な経験だった。道路と殆どの風景は人工的なものだが,芸術作品とは言えないものだった。他方で,それは私にとって,芸術が決してもたらしたことのない何ものかをもたらした。最初私はそれが何なのかわからなかったが,しかしその効果は,私がそれまで芸術について持っていた多くの観点から私を解放することになった。そこには,芸術においてはどんな表現も持たなかったような,リアリティーが存在していたように見えた(注5)。真っ暗な未完成の高速道路をドライヴするという経験は,いくつかのことを含んでい50年代の初めの51年か52年に…あるひとがニュージャージーの未完成の高速道-645-
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